mayu76’s diary

感じたままを、ありのままに、正直に。

ピースボートが変えた『わたし』

なんだかふと思ったこと。

 

見たい世界は確かに自分で選べる。
何を受け取って、
それをどう捉えて、
どんな世の中を見て生きるかは
その人の内側が決めるのだとは思う。

 

でも、わたしがここ最近
あまり視野に入れずにいた、ワールドワイドな問題。

 

世界の環境汚染だとか貧困だとか、
日本でも自殺者だとか重労働だとか。

 

 

確かに見たい世界は選べるよ。


でも、今、この瞬間に、確かに苦しんでる人たちはいる。


今、この瞬間に、確かに多くの自然が、人間によって破壊してる。

 

 

「みーんな役割を持ってこの世に生まれて来てて、すべては必要だから、そうなってる。」

 

いつからかそう思うようになり、どこか自分の中での


「見過ごせない気持ち」
「どうにかしたい気持ち」


が緩まっていた。

 

 

でもやっぱりわたしは
見過ごせないみたい。

 

 流れる涙が

何かわたしの中にある使命感を教えてくれる。

 

それらの問題を目の前にする度に
なにかがいつも生まれる。
心の中に。(自分は共感性が高いからってのもあるけれど。)

 

 

知らない方が幸せなことって、
本当にたくさんあるんだと思う。

それでも「知る」ということが大切なんだと思う。

 

 


ピースボートに乗り、南半球を一周して、いろんなものを見てきた。いろんなことを感じてきた。

 

船の中で、ずっと苦しかった。

 

【どうにかしたい】そう思って高校生の頃から国際協力に没頭して、大学に入ったけど、

 

その、【どうにかしたい世界】を作り上げてるのは、自分たち先進国なんだ、って。

 

わたし自身が、加担していたんだ
って。

 

 

なにが国際協力だよ、
なにが貧困、格差をなくしたいだよ

 

そう自分に思った。

 

ぜーんぶ根っこには先進国の存在があって、
日本に生まれ落ちた自分にも
そのシステムに加担した暮らしが
そこら中に散りばめられていること、
気付いた。

 

 

肉食でどれだけの環境が破壊されてるのかを知り、


安価な服がどれだけ途上国の人たちの重労働の上に成り立っていたのかを知り、


石油とかのエネルギーだとか、どれだけ遠いところから日本に来て、環境を壊し、どれだけ日本はそれに頼りきってるのか。


スーパーに当たり前のように並ぶ、
世界中そこらから日本に来る食料だとか、
それを作り、育ててる人たちが様々な危険に晒されてること、学校に通えない子どもがいること、


資本主義を追い求めるあまり、経済優先するあまり、一体どれだけの《本当は必要ないもの》が生産され、商品として並び、それを消費者が買わされてきていることか。

 

 

本当は自然の中にあるものを
本当は人の手で生み出せるものを。

 

 

若杉ばあちゃんも言っていた。
【「つくる」ということを人間は企業にやめさせられた。「買わされている」ということに気付かなければならない】と。

 

 

いまは洗濯マグちゃん(?)をきっかけに話題を呼んでいる。洗剤メーカーはわかっていたはずだと。でも経済を優先したんだと。

そういった商品、そっこら中にたくさんあるのだと思う。

 

 

まずは先進国から意識変えなきゃじゃん。
まずは日本じゃん。
まずは自分じゃん。


そう思ったわたしは目を外側ではなく、内側に向けた。


動物性のものを使わない「食」
マクロビに興味を持ち、空音遊へ丁稚研修に1ヶ月行ったり、自分で調べて作ってみたり、

 

大きな電力会社や
石油、ガスに頼らずに
自然の恵みと調和して生きていきたい
と思うようになり、
北海道のニセコにある自給自足研究所へ
お世話になったりした。

 

その、ピースボート降りてから
わたしが足を運ぶ先々には
ほんっっっっとうにすてきな人たちがいて、
ほんっっっっとうにすてきな暮らしが存在してた。

 

 

みんなそれぞれのギフト(才能)を最大限に発揮して、それらのギフトを交換っこしてる。野菜を育ててる人は野菜を、ケーキを作る人はケーキを、染め物をする人は染め物を、なにか手仕事するひとは手づくりのものを。そういった物々交換によってギフト経済が成り立ってる。物じゃないギフトもたくさんある。それは経験だったり、ことばだったり。(この、ことばってのはキングコング西野さんのレターポットがそれにあたるのだと思う)

 

 

そして
本当の平和は、自己の平和から。

 

そう思って自分の内側とも向き合い出した。

 

いくら平和を叫んだって
いくら平和を求めたって
その人の心の中のエネルギーが
マイナスなのであれば、
それはマイナスのエネルギーを撒き散らしてる。

 


この世に生きる人間みんなが
自分で自分の中を平和にできたなら
憎しみや戦争は生まれないのだと思う。

 

 

【何か】がなきゃ幸せになれない


なんて、とても不健康で、欲望という名の電車についつい人は乗ってしまう。
それはお金だったり、自分の欲しいものだったり、恋人だったり、結婚相手だったり、なんでも。自尊心を満たすため、承認欲求を満たすため。

 


自分で自分の中を平和にして、
自分で自分の価値を信じて
自分で自分を愛して
自分で自分を満たすこと。

 

今ここの感謝に気づき、幸せを感じる心を養うこと。


それがすごく大切なことなんだとおもう。

 

全くおんなじ状況にいても
はっぴー!って人と
もう嫌だ、、ってなる人といる。

 

 

結局、幸せは【なる】ものではなくて【感じる】もの。

 


ヴィパッサナー瞑想は自分で自分の中を平和にする手段そのもの。まさにってもの。強力アイテム。

自己探求の道でもある。ひたすら自分と向き合う。

 

ピースボート乗る前には外側に向いていた矢印が、
ピースボート降りてからは一気に内側に向き出した。

 

 

それはある人から見れば、
自己中心とか、利己的とか、そう映るかもしれない。

 

 

でもわたしにとっては、
その道が、何よりも近い、
世界のため、誰かのためになる道だって思ってる。

 

 

自分で自分を平和にして
経済システムから外れて
自然の恵みの中、
人と人とのギフトの中に生きること。

 

 

それが
先進国に生きる自分たちにとって
何よりの《国際協力》になるのだと、いまのわたしは思ってる。

 

 

実際の途上国の現地に行きたい!そこで現地の人の抱える問題を共にアプローチしていきたい!

そんな思いに熱くなってた高校生時代〜ピースボート乗るまでのわたし。


「現地で」という思いが再び強く湧き上がっているわけではないけれど、

 

やっぱりわたしは
この、自分がみてきた世界との《つながり》を常に感じながら、常に想いながら、生きていたいのだな、と。

 

【つながりを感じる】これは何においてもキーワード。


自分さえ途上国の人が苦しむ暮らしをしないではっぴーに生きれたらそれでおっけー👌とはならないみたい。

 

『You are lucky 』


これ、どこ行っても言われるんだよね。

カンボジアでも言われた。
フィリピンでも泣きながらわたしにそう言う女性がいた。
ピースボートでも、何度言われたことか。
いまいるインドでも、もう何回も言われてる。

本当に本当に、たくさんの人にこの言葉をもらう。

今の自分が、いまこう在れてること
それは超絶ラッキーで、当たり前なんかじゃなくて、そう思うと感謝と感動で、心が溢れてくる。

 

確かにお金ない家庭で、わたしもそんなバイトしてないのになぜかやたら海外行けちゃってるし、
まず日本に生まれ落ちて、生きたいと思う国はほぼ行けることもそうだし、
出会ってきた人、もらった恩を思えばラッキーな人間でしかないし、

ヒッチハイクいつもいい思い出だし、
なんだかんだ、いろんな場面でラッキーな思いたくさんしてきたなあ、って。

 

 

そんなラッキーガールにはこの後の人生一体どんな役割が待っているのだろうか、と思うとわくわくする!笑

 

と、そんなことを思った満月の夜でした。

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