Mi amas vin.

My life is my message

インド。なお。わたしの真ん中。

念願のインドに着いた。5日目。昨日の朝焼け。

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ようやく来れた。大学入ってすぐのころから、ずっと行きたいと思っていた。
インドが大っ嫌いになるひとと、大好きになる人と、両極端に分かれるという話をよく聞いていた。
そこで、自分はどっちに振れるのか、インドで自分を試してみたい、そんな好奇心がずっとあった。

5日目のいま、インドはおもしろい。
人びとはみーーーんなこころ優しい。

治安が悪いとかいろいろ言われてるけど
結局は自分がどんな世界を見たいかなんだ。

お金がないなら人に貰えばいい。
お金があるなら必要な人に渡したらいい。
お腹が空いてるなら人に貰えばいい。
お腹がいっぱいなら食べ物を分け与えたらいい。

スリをされたって、
欲しかったんだよね〜って
取ったやつ大事に使っておくれ〜って

そう笑い飛ばせたなら、世界はどんなに柔らかいだろう。

 

変に凝り固まった思考を握りしめてる必要はない。

 


道端で会ったある女性は
お金をちょうだいと手を差し出しながら、あはは〜っと笑っていた。
その姿にあっけらかんとしてしまい、自分達も笑ってしまった。
この、堂々さ、だいすきだ。

自分の欲求に忠実に。
自分のニーズに忠実に。

人に迷惑をかけてはならない
とか
1人でどうにかするもの
とか

自分の中の、【こうあるべき】はどんどん壊されて、なんでも許してしまえる。

本来人間はこうあっていいんだよなって。
そう、思い出させてくれる。


ただ、インド人は愛想笑いがないから、たまに怖い。
目の力がすごく強い。芯があって真っ直ぐ。
誤魔化しのない、純粋な目。

自分の中に取り繕いなどの不純なものがあると、インド人と目が合ってるその時間が苦しくなる。そして、目を合わせないようにしてしまう。

みんなインド人は自分の真ん中と繋がっているような、
わたしが手放したくてやまない
「どうに思われるか」
「こう思われたくない」
「こう思われたい」
そんなもん、いちっミリもないような。

余計な殻を脱ぎ捨てて
ただ、自分の真ん中と繋がり、生きる。

そんな姿をインド人の目に思う。


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インド着いてから早々にてぃんくるとはぐれ、ずっとなおと2人で時間を過ごしてるのだけど、
私たちのしていることといえば、


寝る、

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 食べる、(だいたい辛い)

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ケンカする

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くらいだ。

 


ほぼほぼベットの上にいる。
せっくすをするわけでもない。
ただ、ゴロゴロとダラダラしてる。笑

せっくすに関しては、
今がいちばんなおの中でのブロックの強さがピークにあると感じている。

性的なことへの嫌悪、自分の女性性に対しての嫌悪。

 

わたしになにができるのかは分からないけど、何かをがんばる必要は絶対なくて。

 

わたしが、なおという人間と出会って、新しく出会う性のグラデーションに触れて、こうやっていま向き合ってること、必ず何かの意味がある、と信じれてる。

 


せっくすって一体なんなのか。
付き合ったら必ずしなきゃなの?
そもそも付き合うって何?
すきってなに?
ハグ、キス、セックス、これらの境目は一体なに?
性的なものと、愛情表現、それらは両立する?するとしたらどうやって?

そんなことを昨日は話していた。

これ、誰しも答えを知らないんじゃないかってところに、落ち着いちゃった。

もーしかしたらもしかして、

せっくすが、愛情表現のひとつと言うならば

誰もが、誰とでもせっくすをする時代が来ることだって、あるかもしれない。

 

愛情の気持ちが湧くのは、たったひとり

恋人に対してだけってわけじゃないだろうから。

 

南米では初対面でのあいさつが

ほっぺにキスだったように、

日本じゃ考えられないような

既存の枠からは考えられないような文化が

無数に存在してて、これから新しく生まれる可能性だってある。

人間の可能性ってほんとに未知だと思う。

(ここに関してはフォーカスしてまた別にブログを書きたい。)

 

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そしてそして、

やっと作ったYouTubeアカウント。

https://www.youtube.com/channel/UCShYUxFKQY0DzHAqCFuOYag

 

旅の様子とか、なおとのやりとりを、映像に残していく予定。なにも編集もせずに、ただ撮ったままに。笑  

 

 

もがいてた〜逃げてた〜。

発信者になることを恐れる自分がいた。

 

自分の名前のアカウントに、

付き合ってる人の動画ばかりがあがる

その構図に、猛烈な抵抗感、ブロックがあった。

 

恋愛に埋もれて見えるんじゃないか、

相手に人生左右されていないか、

そんな偏見的な目を、自分で自分に向けたまま、なかなか抜け出せずにいた。

 

でも、

 

なおとの関わり、やりとりがわたしにとっての真ん中に含まれているのであれば、

それはやればいいんだ。

 

誰になに言われたって、

「これがいまのわたしのやりたいことなんです」って、そう胸を張って言えたらいいんだ。

 

 

てぃんくるも、なおも、いなくなった世界を想像する。

 

きっとわたしは、撮りためてたなおとの動画をひとりで世に出すだろう。

 

その理由はきっと、

なおという人間がいたことを、より多くの人に知ってほしいから。

わたしとなおとの間で交わしてきたやりとりを、より多くの人に届けたいから。

 

そうすることで、誰かの何かに触れることができる気がしてるから。

 

 

 

 

女でも男でもトランスジェンダーでもない

なおの性。

 

何かの枠に自分をはめようとすることを辞めて、ただ、自分にとっての心地よさだけを追求する。

 

既存のせっくすの概念の囚われから抜け、

ただ、人として繋がりたいと思う気持ち

そこだけで、やりとりがされる、まぐ愛。

 

そんななおと関わる中で、

わたしにもたくさんの揺らぎが起きた。

たくさんの固定的な思考に気付かされた。

たくさんの変化が自分に起きた。

 

 

わたしが魂震えるもの。

それはこれ。この映像見る度に、涙が流れる。

https://youtu.be/PnDgZuGIhHs

ぜひ、ここまで読んだ人、一目でいいから、ポチっとして、見てみてほしい。

 

わたしの魂はこの世界を望んでいるんだと、この世界に生きたいんだと、はっきりとわかった日があった。

だから、わたしは、なおと出会ったんだとはっきりと腑に落ちた日があった。

 

その感覚を忘れずに、

何かあったらその感覚を思い出しながら

これからのインド半年、共に過ごして生きたい。そしてその、生き様を映像に残していきたい。

 

そしてゆくゆくはてぃんくるの手によって、1つの映画になる予定!おもしろそう!そんなインド半年3人組の写真で、おしまい。

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