mayu76’s diary

感じたままを、ありのままに、正直に。

ブログ再開?さらけ出す。

 

ノープランで始まった17日間のタイの旅も

いよいよ終わりを迎えてる。

きれいな夕焼けをみながら貸し切りタクシーに乗り、チェンマイの空港に着いた。

 

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去年の夏にブログを初めてみたものの続かず。笑

 

でもなんかいまなんとなくまたブログとして文字を書いてみてる。これが続くかどうかはわからない。笑

 

日記だったら7年続いたんだけどなあ。

断捨離精神で、日記もやめたけど。

 

あとはケータイのメモ機能に

自分の内側で起きたこと、生まれたことを、ありのままに、誤魔化さずに、取り繕わずに、文字にするようにしてる。

 

でもこれはあまりにも、どストレートで時にえげつないから、自分以外の人に見せるのにはすごくすごく抵抗が生まれる。

 

でも抵抗が生まれるってことは

自分の中に「ブロック」が存在してて、

ということは、その自分を許せていないということ。

許せていなくて、どこかで、

 

こんなわたしなんて、知られたらまずい。

みんなわたしがこんな人間だなんて思ってないだろう。

これを見た人にはどうに思われるだろうか。

 

っていう外側を気にする自分が発動する。

 

そして、ひとに、

知られたくない

見られたくない

→ 自分の中で受け入れて、認めて、愛せていない。

 

そーーーんな自分がわたしのなかには

いーーーーっぱいいるんだなあ。

 

ということに、一番近い存在の

なおが教えてくれる。強烈な鏡として。

 

タイでは前半はなおと一緒に行動を共にしていたけれど、自分の許せない部分をなおの姿に見ていて、反発、怒り、攻撃などなど、すごかった。

だからほとんどの時間が険悪だったりした。

 

それでももう、

向き合うと決めたから。

一緒にいる中でどう、居心地のいい世界を作っていくか、というところにいるから。

 

 

思い返せば本当にいろいろあった。

 

本当に。

何から書き起こせばいいのか、わからないほど。。

 

まぁ、結論から言ったらこのタイの旅は想像以上に濃かった。

 

起きる流れすべてに身をまかせることで、思いもよらない展開が生まれ、思いもよらない気付きを得る。

 

わたしとなおはお互いに「性」のことがやっぱ真ん中なんだろう。

 

わたしは12月の千葉でのヴィパッサナー瞑想の10日間コースがすべての始まりなんだけど、これまでの恋愛のしかた、「彼氏」という存在に求めていたもの、自分にとってのセックスの位置付け、もろもろの《真実》への扉が開いた感じだった。

 

女として、求められること、

そこに自分の存在価値を感じてた。

 

そうでいなければ立てなかったなんて、

なんて苦しいことをしていたのだろうね。

 

でも、なんか、

わたしみたいな人って

もしかしてちょーーーもしかしたら

意外とそこらへんにもいるのかも??

と少し思ったり。

 

自分の承認欲求を恋愛や性に求めるって。

 

家庭環境ぜんぶが自分を形作ってるわけではないにせよ、わたしが自分の中で作り上げてきた現実の中では、

 

DVが理由で両親が離婚し、わたしはお母さんの元に行ったものの、そのころ水商売に男の人とのお付き合いに、あまり『親子』と感じれる時間を過ごしていないと記憶してる自分がいる。ひとり孤独にいた自分を覚えてる。そして、いつのまにか「お母さんみたいに男に人生を左右される人間にはなりたくない」「お母さんの二の舞を踏みたくない」そんな思いが固く固く自分の中で作られていった。そしてお父さんの元へ行ったお兄ちゃんがたまに私たちのアパートに泊まりに来るとき、お母さんはめちゃくちゃ優しくてどんな甘えもきいていた。でもわたしにはそうじゃなかった。わたしよりお兄ちゃんの方がどうせお母さんは好きなんだ。そうおもってへそを曲げた日がどれだけあったことか。。

 

 

いつも自分は愛されていない

いつも自分は必要とされていない

いつも自分は生きてていいのかわからない

 

そんなことを感じ続けていた幼少期だった。

 

あくまで、『自分の中での』現実ね。

(人は好きなように物事を捉えて、好きなように思い込んで生きる生き物なんですよねきっと。そう思いたかったんだろうね。いまではお母さんとわたしの間には、愛はあったんだと思えている。)

 

だから

 

わたしは自分の中の『女性性』を土台に立っている人間だった。

恋愛をしてれば、彼氏という存在に必要とされていると感じて満足し、

体を求められれば、女として必要とされていると感じ満足していた。

 

そしてそんなわたしはいま、

『女性性』を、ずーーーっと否定してきた

トランスジェンダーのなおと、深い関係の中にいる。

 

これまで、わたしは異性愛者として、男性としか付き合ったことがなかった。というか、「おんな」でありたい気持ちが強かったから、その分男性らしさのある人が好みだったりした。

 

人生とはおもしろいよね。

 

ピースボートがきっかけで出会って関係が始まったけれど、自分でもはっきりと理由は分からなかった。

 

ただ、

これまで何年も心の声を押し殺して生きてきたなおを見て、

 

『なおには心のままに生きて欲しい。

幸せに生きて欲しい。そしてもしその手助けや支えに自分がなれるのであれば、そばにいたい。』

 

それだけだった。

 

ただ、言葉の囚われが強いわたしにとって、言葉から生まれる固定概念も強くて。

だからそこにある種の怖さを感じた。

 

「彼氏彼女」「妻と旦那」「結婚」などの

ラベルは、いつの間にか

2人がいち人間同士で《あかの他人》であることを忘れさせたり

相手は自分のものだという所有の感覚に陥ってしまったりする。そこから嫉妬や束縛も始まる。そういうイザコザってたくさんあると思う。

 

だから私たち2人の関係性には

「名前をつけないこと」

「ラベルをつけないこと」

「彼氏、彼女って呼ばないこと」

に決めた。

 

 

そして、

「お互いが自分の真ん中を生きて、その結果隣にいれたらいいよね」と話した。

 

そうやって、始まったなおとの関係から約1年経つのかな。

 

あれ、、

いつの間に馴れ初めの話になっているんだろう。

タイの話はどこへやら。笑

 

タイではそんな自分たちの根っこに繋がる気付きがたくさんあったんだよね。

 

ほんとうに大切な時を、過ごせた。

 

これからインドを控えてて

なおは女性性を受け入れて解放していく流れに入ると思う。

 

そのときに、わたしはどうなるのだろう。

わたしの中には、何が生まれるのだろう。

 

なおが女性らしくなること。

女装してインド旅してみようかって提案。

それをイメージするたびに正直、怖くなる。

 

 

わたしはなおに対して

変わらない気持ちのままいれるだろうか

変わらない感覚のままいれるだろうか

 

でもそれってきっと「変わらないもの」を求めても意味なくて。

それは「いまこの瞬間にもってるなおに対する感覚」への執着なんだと思う。

 

それを手放したとき

あら、こんな世界があったのね〜♪

みたいなところに行ける気がする。笑

 

もういいんだ。

どうに思われるとか。

 

見た目はおとこに見える。

戸籍はおんな。

おっぱいはないけど、女性器は持ってる。

 

そんな、なおと、いまこういう関係にある私は

異性愛者なのか?同性愛者なのか?

バイセクシャルレズビアン

 

もうそんなの決めきれない。

もうそんなのなんでもいいんだ。

ラベルわけしたいなら見る人が好きに決めたらいい。

 

白黒はっきりさせたがりなわたしが

どっぷりグレーなところにいる。

 

そっから今はまだ見ぬ、新しい色鮮やかな世界が始まっていく気がする。

 

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ひとまず。

タイはご飯美味しくて

人もみーーんなやさしくて

大好きになりました。

 

パーイなんかは手つかずの自然が豊かで住みたいなと思ったほど。

 

出会ったすべて人にコップンカー!

 

話それまくりのてんやわんやなこの文章を最後まで読んでくれた方、ありがとう😊

 

おわり。