Mi amas vin.

My life is my message

『大学を辞める』ということ。怖さ。

優しく見送られてるかのようなきれいな朝日を見ながらチェンマイを去った。いまはバンコクの空港にいる。今日の22時ごろ、関空に着く予定。

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今朝、わたしが辞めた大学の後輩からあるラインが入っていた。

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なんだかすごく、うれしかった。
母親のような気分で微笑んだ。笑
そして怖さを受け入れると、

肚を決めたんだなあと
かっこいいなあと心から思った。

 

 

彼とは先日2時間ほど電話した。
その時の彼の決定は
「大学を辞めずに休学をして海外へ行く」
というものだった。

親と相談した結果
社会人にもらった言葉

それらをトータルして出した結論だと言っていたけど、

 

それらはあまり、彼の真ん中から出てきている言葉ではないように感じた。

 

だから、正直に、ありのままに、なるべく言葉を選ばずに、わたしが思うことを彼に伝えた。

 

 

わたしは確信があった。

 

彼は身の周りにまとっているものを
すべて剥がしたら、めちゃくちゃ輝く人だということを。

 

 


何かに「所属」しているだけでも
実はエネルギーはそこに流れてて。
だからその所属を外して
どフリーに裸の《いち人間》になったら
もっともっと入ってくるものがあったのだろうと、休学を終えて退学をした今、わたしは思っていた。


「学生」という身分が安心なこと
いろんなことが許されること
世間の目があたたかいこと

 

休学なら帰ってくる場所があるから安心なこと
大学の仲間やバイト先、土地などのすべてと決別する必要がないこと

 

それはそうなんだよね。
怖くない。ほっとできる。安心できる。

 

 

でも真の道ってのは
その『怖さ』と真正面に向き合うこと。

 

 

自分は、
何から逃げたかってるのか、
何を怖がっているのか、

 

そしてその、怖さを避ける道は
本当に自分が望んでいる道なのか。

 

なにも怖さも不安も心配もなくて
ぜーーーんぶが上手くいくとしたら
『ほんとは自分、どうしたい?』

ってところ。


怖さの先にしか、ホンモノはない。

怖さを越えた先で初めて歩める『自分の人生』がある。


どれだけ怖さを乗り越えるかなんだと思う。

怖さを一歩超えない限り想定外のことは起きない。想定内の人生はわたしは嫌だなあ。つまらないと感じる。

 

 

だからとことん、自分が怖気付いてしまうようなものにこそ、光を当てて向き合うべきなんだと思ってる。

 

 

アタマでわかっていても
なかなか怖さの先に一歩踏み出してみることはすごく勇気がいるけどね。。

 

 


わたしが大学辞める時も向き合った。
もう「辞める」ということに覚悟を決めたとき、自然と周りの反対は消えていった。

結局は周りに起きる現実、現象は、自分の内側のエネルギーが決めているんだと実感した。

 

自分が覚悟できていなかったら、

自分の内側が決まってなかったら

そりゃあ親は反対する。

 

でも覚悟を決めれた時には、その人の覚悟を反対する人っていないんだと思う。

 

 

 

そしてぜーんぶの壁がとっぱらわれて
さぁどうする?ってなった時に
やっぱり最後の最後どかんと来る怖さはあった。

 

 

これまで小中高大と、ずーっと何かに所属していた。
それがここで初めて、何にも所属していない「ただの小林茉優」になる。
学生でもない、職場があるわけでもない。

そのことは小学生以降
22年間生きてきて、1度もなかったことだった。

 

学歴もない、免許もない、資格もない。

 

辞めてどうする?

仕事はどうする?

どう生きていく?

奨学金はどう返す?

 

そんなことが頭の中にいっぱいだった。

 

でももう決めたんだ。

「何かを身につけていく」生き方は、辞めるんだと。

 

どんどん脱いでいって、

他人や周りに左右されない

ありのままの、本来の自分に戻るのだと。

 

そして

何かやることがなきゃ、何かを辞めれないってことはないはずだと。

 

 

あとは

自分の真ん中を生きる人間を神様は見捨てたりしないんだと思う。どんなにお金の出所なさそうでも、もろもろ大変そうでも、真ん中を生きる人間を神様は『生かす』のだと思う。ちょうどい〜いタイミングで、ちょうどい〜いアイテムを与えてくれるのだと思う。

 

まずは【なんとかなる】と思うこと。自分が不安を見れば、現実も不安になる。

単純なことだけど、それがすごく大切な気がする。

 

大学辞める前の

「辞めてどうするの?」

という質問と同じくらいに多い質問。

 

それが、

「茉優っていろいろ転々としてるけど、お金どうしてるの?」

 

すごくすごく聞かれる。

 

 でもなーんかどうにかなってるんですよね。

おもしろいけど。有り難い。

 

お父さんからの不定期のお小遣いとか

奨学金もらってたものの、授業料は

ほぼ毎回、全額免除申請が通ってたから(ちょーラッキー。国公立のおかげ。母子家庭のおかげ。)その使われてない奨学金とか、あとは思いもよらぬところからお金が降ってきたりする。最近で言ったらなおのお母さんからの餞別とかね。

 

あとはそもそもお金がかからない。

ヒッチハイクすれば移動タダだし、日本でも海外でも友達んちとか瞑想センターに滞在すればタダだし。

 

いかにお金をかけずに楽しむかってのも面白い。笑

 

これからの奨学金の返済もおばあちゃんが

全面的に協力してくれるって言ってる。

 

そんなこんなでわたしは

わたしの好きなことをやれる。

 

 

自分が

好きなことをやれて

輝けるからこそ、

家族に渡せる『ほんものの思い』がある。

家族に渡せる『愛』がある。

 

そうなるとすごくいい循環が生まれる。

 

我慢の時代は終わったんだ。

 

 

 

大学を辞めたいま、感じるのは

なんだか肩の力がすーーっと抜けた感覚を感じてる。すごく気が楽で、ニュートラルな感覚でいれる感じ。

 

 

わたしにとって、大学という場所自体が
「こういうもん」っていう固定観念を押し付けてくるところだったり、課題に卒論に常に何かに追われるところだったり、就活などのみなと足並みを揃えなきゃならないっていう同調圧力を感じるところだったりした。

 

 

それゆえに、異様に人の目を気にしたりで、自然体でいれなかった。

 

 

だから、【自分が自分らしくあること】そんな自然なことが当たり前にできなかった。大学にいると、流れに逆らっているような、1人逆流をしているような、そんな感覚だった。そこで生まれる抵抗はいちいち、わたしの心にとってはストレスだった。

 

 

授業もつまらなく感じてきてた。
休学の間、フィリピン2カ月、ピースボートで南半球一周して、たくさんの人と出会って、たくさんのものを自分の目でみて、肌で感じてきた。

今のわたしは90分座って教授の話をずっと聞いてる時間よりも、自分の足を動かして、自分の五感でなにかを学び得ていきたいって思いが強かった。学生が受動的で、寝たりケータイをいじったりしてる、その講義室の空間に耐えられなかった。自分の中の何かが蝕まれていくような感覚だった。

 

そんなこんなで、12月の頭に大学を辞めた。

 

 

 

辞めてからの新しい発見。

 

それは
なにをしているの?って聞かれたとき。

 

これまでは「函館の学生です」

それだけでよかった。

 

でもいまは大学を辞めたことを説明する。

(でも本来は「ただの小林茉優です。」でいいはずなんだよなあと思いながら、、)

 

すると、あっけらかんと

 

「お〜辞めたんだねえ〜!」

「いいねえ〜👍」

「わたしも昔大学辞めたんだよね」

「うんうん、いいと思う」

 

などなど、そんな前向きで肯定的な返事が返ってくることがここ最近ほんと多い。

 

わたしが勝手にイメージしてた

世間体からの冷たい言葉は未だもらったことがない。

 

 

なーーーーーーーーんだ。

自分が自分らしい道を進む先で出会う人って、似た道を歩んでいたり、共感できることが多い人たちになってくるんだなあ〜と。そんな発見をした。

 

 

それなのにわたし自身がまだ

囚われを持っているんだよね。

どこかでジャッジ[判断]をしたがる。

 

だから、ついつい気になっちゃう。
旅で出会って仲良くなった人とかに
なにしてるの?とか何歳なの?とか。

聞いちゃう。。笑

そこにわたしは固定観念を持ってるんだよね。

そしてそのジャッジの目は他人だけでなく、常に自分にも向いている。

 

 でもそんなの、必要ないんだよね。

 

みんながみんな、自分の色を全力で出し切る先に、ちょーカラフルですてきな世界はあるんだろうな。

 

 

日本では高校卒業したら[就職or大学]って、流れが強くて、『なんとなく』大学に入っちゃう人って少なくないと思う。(もちろん目的意識あって入ってる人もたくさんいるよ)

 

でも、

『なんとなく』大学に入り

『なんとなく』4年生が過ぎて

『なんとなく』就活をしてみる。

 

それでいいの?

 

って思うことが多々あるのだよね。

 

この考え、意見は自分の経験からしかものを言っていないからすごく偏ってて固定的かもだけどね。

 

怖さもあるし、

世間体もあるし、

この先の不安もあるし、

親とのやりとりもあるし、

大変だった。大変なんだと思う。

 

だからこそ、この後輩の勇気はほんとうに素晴らしいと思うし、少しでも多くの人に触れられたらいいなあと思った。

 

 『こっから始まるんだなって思う。自分の人生は』そう彼が言った。

なんだかすごくうれしくて。

 

そう思える瞬間ってほんとうに言葉では表現できない感覚が体に起こる。なんかこう湧き上がってくるような。溢れてくるような。すごく幸せ。自分が自分でよかったと思える。

 

そんな始まりを歌っていたのが

私が乗っていたピースボート93回クルーズでの出港曲。

「Today my life begins 」Bruno Mars

その歌詞のわたしが好きなところだけのっけて終わりにしよう。笑

 

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 おわり。

 

 

 

 

 

ブログ再開?さらけ出す。

 

ノープランで始まった17日間のタイの旅も

いよいよ終わりを迎えてる。

きれいな夕焼けをみながら貸し切りタクシーに乗り、チェンマイの空港に着いた。

 

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去年の夏にブログを初めてみたものの続かず。笑

 

でもなんかいまなんとなくまたブログとして文字を書いてみてる。これが続くかどうかはわからない。笑

 

日記だったら7年続いたんだけどなあ。

断捨離精神で、日記もやめたけど。

 

あとはケータイのメモ機能に

自分の内側で起きたこと、生まれたことを、ありのままに、誤魔化さずに、取り繕わずに、文字にするようにしてる。

 

でもこれはあまりにも、どストレートで時にえげつないから、自分以外の人に見せるのにはすごくすごく抵抗が生まれる。

 

でも抵抗が生まれるってことは

自分の中に「ブロック」が存在してて、

ということは、その自分を許せていないということ。

許せていなくて、どこかで、

 

こんなわたしなんて、知られたらまずい。

みんなわたしがこんな人間だなんて思ってないだろう。

これを見た人にはどうに思われるだろうか。

 

っていう外側を気にする自分が発動する。

 

そして、ひとに、

知られたくない

見られたくない

→ 自分の中で受け入れて、認めて、愛せていない。

 

そーーーんな自分がわたしのなかには

いーーーーっぱいいるんだなあ。

 

ということに、一番近い存在の

なおが教えてくれる。強烈な鏡として。

 

タイでは前半はなおと一緒に行動を共にしていたけれど、自分の許せない部分をなおの姿に見ていて、反発、怒り、攻撃などなど、すごかった。

だからほとんどの時間が険悪だったりした。

 

それでももう、

向き合うと決めたから。

一緒にいる中でどう、居心地のいい世界を作っていくか、というところにいるから。

 

 

思い返せば本当にいろいろあった。

 

本当に。

何から書き起こせばいいのか、わからないほど。。

 

まぁ、結論から言ったらこのタイの旅は想像以上に濃かった。

 

起きる流れすべてに身をまかせることで、思いもよらない展開が生まれ、思いもよらない気付きを得る。

 

わたしとなおはお互いに「性」のことがやっぱ真ん中なんだろう。

 

わたしは12月の千葉でのヴィパッサナー瞑想の10日間コースがすべての始まりなんだけど、これまでの恋愛のしかた、「彼氏」という存在に求めていたもの、自分にとってのセックスの位置付け、もろもろの《真実》への扉が開いた感じだった。

 

女として、求められること、

そこに自分の存在価値を感じてた。

 

そうでいなければ立てなかったなんて、

なんて苦しいことをしていたのだろうね。

 

でも、なんか、

わたしみたいな人って

もしかしてちょーーーもしかしたら

意外とそこらへんにもいるのかも??

と少し思ったり。

 

自分の承認欲求を恋愛や性に求めるって。

 

家庭環境ぜんぶが自分を形作ってるわけではないにせよ、わたしが自分の中で作り上げてきた現実の中では、

 

DVが理由で両親が離婚し、わたしはお母さんの元に行ったものの、そのころ水商売に男の人とのお付き合いに、あまり『親子』と感じれる時間を過ごしていないと記憶してる自分がいる。ひとり孤独にいた自分を覚えてる。そして、いつのまにか「お母さんみたいに男に人生を左右される人間にはなりたくない」「お母さんの二の舞を踏みたくない」そんな思いが固く固く自分の中で作られていった。そしてお父さんの元へ行ったお兄ちゃんがたまに私たちのアパートに泊まりに来るとき、お母さんはめちゃくちゃ優しくてどんな甘えもきいていた。でもわたしにはそうじゃなかった。わたしよりお兄ちゃんの方がどうせお母さんは好きなんだ。そうおもってへそを曲げた日がどれだけあったことか。。

 

 

いつも自分は愛されていない

いつも自分は必要とされていない

いつも自分は生きてていいのかわからない

 

そんなことを感じ続けていた幼少期だった。

 

あくまで、『自分の中での』現実ね。

(人は好きなように物事を捉えて、好きなように思い込んで生きる生き物なんですよねきっと。そう思いたかったんだろうね。いまではお母さんとわたしの間には、愛はあったんだと思えている。)

 

だから

 

わたしは自分の中の『女性性』を土台に立っている人間だった。

恋愛をしてれば、彼氏という存在に必要とされていると感じて満足し、

体を求められれば、女として必要とされていると感じ満足していた。

 

そしてそんなわたしはいま、

『女性性』を、ずーーーっと否定してきた

トランスジェンダーのなおと、深い関係の中にいる。

 

これまで、わたしは異性愛者として、男性としか付き合ったことがなかった。というか、「おんな」でありたい気持ちが強かったから、その分男性らしさのある人が好みだったりした。

 

人生とはおもしろいよね。

 

ピースボートがきっかけで出会って関係が始まったけれど、自分でもはっきりと理由は分からなかった。

 

ただ、

これまで何年も心の声を押し殺して生きてきたなおを見て、

 

『なおには心のままに生きて欲しい。

幸せに生きて欲しい。そしてもしその手助けや支えに自分がなれるのであれば、そばにいたい。』

 

それだけだった。

 

ただ、言葉の囚われが強いわたしにとって、言葉から生まれる固定概念も強くて。

だからそこにある種の怖さを感じた。

 

「彼氏彼女」「妻と旦那」「結婚」などの

ラベルは、いつの間にか

2人がいち人間同士で《あかの他人》であることを忘れさせたり

相手は自分のものだという所有の感覚に陥ってしまったりする。そこから嫉妬や束縛も始まる。そういうイザコザってたくさんあると思う。

 

だから私たち2人の関係性には

「名前をつけないこと」

「ラベルをつけないこと」

「彼氏、彼女って呼ばないこと」

に決めた。

 

 

そして、

「お互いが自分の真ん中を生きて、その結果隣にいれたらいいよね」と話した。

 

そうやって、始まったなおとの関係から約1年経つのかな。

 

あれ、、

いつの間に馴れ初めの話になっているんだろう。

タイの話はどこへやら。笑

 

タイではそんな自分たちの根っこに繋がる気付きがたくさんあったんだよね。

 

ほんとうに大切な時を、過ごせた。

 

これからインドを控えてて

なおは女性性を受け入れて解放していく流れに入ると思う。

 

そのときに、わたしはどうなるのだろう。

わたしの中には、何が生まれるのだろう。

 

なおが女性らしくなること。

女装してインド旅してみようかって提案。

それをイメージするたびに正直、怖くなる。

 

 

わたしはなおに対して

変わらない気持ちのままいれるだろうか

変わらない感覚のままいれるだろうか

 

でもそれってきっと「変わらないもの」を求めても意味なくて。

それは「いまこの瞬間にもってるなおに対する感覚」への執着なんだと思う。

 

それを手放したとき

あら、こんな世界があったのね〜♪

みたいなところに行ける気がする。笑

 

もういいんだ。

どうに思われるとか。

 

見た目はおとこに見える。

戸籍はおんな。

おっぱいはないけど、女性器は持ってる。

 

そんな、なおと、いまこういう関係にある私は

異性愛者なのか?同性愛者なのか?

バイセクシャルレズビアン

 

もうそんなの決めきれない。

もうそんなのなんでもいいんだ。

ラベルわけしたいなら見る人が好きに決めたらいい。

 

白黒はっきりさせたがりなわたしが

どっぷりグレーなところにいる。

 

そっから今はまだ見ぬ、新しい色鮮やかな世界が始まっていく気がする。

 

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ひとまず。

タイはご飯美味しくて

人もみーーんなやさしくて

大好きになりました。

 

パーイなんかは手つかずの自然が豊かで住みたいなと思ったほど。

 

出会ったすべて人にコップンカー!

 

話それまくりのてんやわんやなこの文章を最後まで読んでくれた方、ありがとう😊

 

おわり。

 

 

 

心がいいなと思うもの

先日八雲のキャンドルナイト

後輩たちとレンタを借りて行ってきた🚗

 

まず会場がすごくいいところで

芝生に寝転がったり

子どもと池で遊んだり

すごくすてきな空間だった。

 

さらには

地球にやさしい

からだにやさしい

もの、食べ物がたくさん出店してて。

 

ニセコで自然と共生する生活の中で

わたしがふと、いいなって思ったのが

安心してせっけんを使えるってこと。

 

前に『ここのわ』さんで買ったせっけんは

植物性のものでできていて、

頭も顔もからだも全身洗えるし、

そのまま川に流しても大丈夫なせっけん。

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川の水を使って水道やお風呂が

使えてることを思うと、川に対して

『水を使わせてくれてありがとう』

って思う。

だからこそ、もし自分が川へ流すものが

自然に害なものがあったら

すごくすごく、罪悪感が出てくる。

 

自然は無条件に、見返りもなく、

こんなにもわたしたち人間に

ギフトをくれているのに、、って。

 

でも『ここのわ』さんのせっけんがあって

それを自分のからだにも、自然にも、

安心して使えるということが

すごくすごく、いいなあって思った。

 

だから今回の八雲キャンドルナイト

またここのわさんに会えるのを楽しみにしてたら、願い通り会えて、たくさん話せた。

 

そして今度せっけんの作り方を

教えてもらえることになった!!

 

自分のこころがいいな

と思うものを自分の手で作れるって

きっと、

ものすっっごく幸せなことなんだろうなって。

 

この八雲キャンドルナイトには

そんな人たちがたくさん集まっていて。

 

何かをつくるにしても

何かを表現するにしても

何かを伝えるにしても

 

きっとその人たちは

自分のこころがいいなと思うものを

作ったり、表現したり、伝えたりしてる。

 

そこに、こころに、

嘘偽りがない。

 

だからあんなにも、すてきに見えるんだ。

 

こころに嘘をつかないこと

誤魔化しをしないこと。

 

利益とかノルマとか会社のためとか

そういったもの全部とっぱらって

シンプルに【自分の心がいいと思うもの】

そこだけ。

 

こころがいいなと思うものを

信じ切ってる姿、

自分の真ん中を生きる姿、

すごく魅力的だと思った。

人としての純度の高さを肌で感じる。

 

そしてそう生きてる人が発してる

オーラのような、雰囲気のような、

目には見えない何か、があるなあって

いつも思う。

 

こんな風に生きたいなあって。

そういう理想像がいま、自分の中にはっきりとある。

 

だからこそ、

わたしも

心の声を流すことなく

曇りなき目で

いいなと思うものを大事に生きていきたい。

 

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わくわく のままに

 空き家になっている古民家。

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大家さんの「人の流れをつくりたい」

という意向に協力させてもらえることに。

 

そもそも

サードプレイスに興味を持ち始めてた

いまこのタイミングで、

この環境があって、このチャンスが巡り回ってきたことは本当にラッキーだなと思う。

 

家でも職場でもない第3の居場所

家でも学校でもない第3の居場所

 

そんな場所がもっと日本に増えたらいいなあって思ってた。

 

なにかに行き詰まったとき、

ふと誰かと話したいなあってとき、

ふと誰かとご飯食べたいなあってとき、

 

ふら〜っと気楽に

なんのハードルもなく

足を運べる場所。

 

そこに住む学生、住民、子どもが

一緒に何かをするような

地域に根をはる要素と

民泊とかをして

流動的な人の流れがある要素と

 

両方を兼ね合わせたら面白そうだなあって思う。

 

本当にすてきな古民家で

いまのところなんでもできる!って思ってる。

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坂爪さんやってるようなごちゃまぜの家 【https://camp-fire.jp/projects/view/26181】とか、持ち寄りごはんとか、地域食堂とか、学生でなんかおもしろいことやる場にしたり、投げ銭ライブとか、ホラー映画鑑賞会とか、中庭にテント張ってキャンプとか、ポットラックパーティーとか、1日カフェとか、民泊とか、シェアハウスとか、畑作っちゃうとか、おばけ屋敷とか、ヨガ合宿とか、キャンドルナイトとか、もうなんでもやれるとおもう!笑

人と人が出会うこと

人と人が笑顔になること

人と人があったかい空間を作り出すこと

そんな場に立ちあえることはわたしにとっての喜び。

 

あと、

函館の大学は道外出身者が多い。

実家暮らしではなく一人暮らしの学生が圧倒的に多い。そんな中で、家庭の味が恋しいとか、誰かと食卓を囲みたいだとか、料理できるようになりたいだとか、そういうことを望んでいる学生は多いんじゃないかなと思う。

 

反対に地域のおばあちゃんたちは

核家族化が進んでたり

旦那さんに先立たれていたりで

持っている料理の腕を振舞うことなく

簡素に食事を済ませてしまっている人が

多いんじゃないかなと(勝手に)思ってる。

(私のおばあちゃんがまさにそうだから)

 

そんな2つのよくある状況を

うまく、あたたかかく、かけあわせれたら

おもしろいなあって。

 

そんな思いを込めての地域食堂。

 

ほかにも「やってみたら面白そう!」ってものはたくさんある。

 

まだどこまで自由にやらせてもらえるかはわからないけど、とりあえず来週、古民家を大掃除をして、DIYして補修工事とかをしていって、少しずつでも進めていけたらいいなあ!

 

自分の中にポンポン出てくる

「おもしろそう!!」ってもの。

それに向かえてるとき、

わたしの心は踊っている。

 

この心踊る感覚を大切に

人生の舵取りをしていきたい。

 

「今」を「自分」を、生きる。

 

7/6で、22歳になった。

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(↑マクロビのお誕生日ケーキ)

と同時に、自給自足の世界に

ちょびっとだけ足を踏み入れた。

 

 

ピースボートにのり、

南半球をまわってきて、

世界の光と影を知り、

自分たちの生活が

一体どんなところから来ていて

そこにいる人はどんな人生を送っていて

どんな思いをしているのか。

 

それは一部かもしれない。

 

それでも確かに

「何か」や「誰か」の犠牲の上に

成り立っているシステムが存在する。

 

それらにできる限り加担せずに

生きていきたいと思うようになった。

 

自分にとっての心豊かな暮らしを

自分の手で作り出せる人間になりたいと思った。

 

ずっと熱を持って自分の中にあり続けてた

「国際協力」という言葉の意味が

がらっと方向転換し、新しい意味となり

いま、自分の中にある。

 

 

自分の食べるものは自分で自給。

自分の身に付けるものは自分でつくる。

自分の住む家は自分で建てる。

そして、電気ガス水道ないところで

川の水をいただき

太陽の光をいただき

森の木々をいただき

自然と共生しながら

自然に気を遣いながら

自然から恩恵をもらいながら。

そんな暮らしをしている夫婦と子供3人が

北海道のニセコの森の中で生活している。

(リンク→ 天真らんまんな自給自足の生活。  )

 

そこの生活に実際にはいって

今まで頭にはあったことが

リアルな実感になったり、

確かな体験になったり、

そこで自分の肌で感じて、体で感じて

初めて見えてくるものがたくさんあった。

 

自然のすばらしさ

自然からのたくさんのギフト

それをこんなにも実感を持って

感じれたことが大きかった。

自然の雄大さ、たくましさに感動しかなかった。

 

いまの日本での一般的な生活水準と

比べたら、インフラ面で時には「不便」と感じることもあるかもしれない。

でもそんなときにものすごく生きてきたのが

これまでの私の途上国での経験。

 

フィリピンの山奥でホームステイしたときや

カンボジアの村でホームステイしたときと

同じ感覚になっていた。

 

「生きてる!」って実感だとか

おいしいごはんを食べられること

体を伸ばして眠りにつけること

自然の力に癒されること

 

そんな当たり前のようなことに

めいっぱいの幸せを感じる。

 

自然は何にも逆らわずに

ただそのままに在る。

その姿に惹かれる。こころが救われる。

 

コンクリートを押し割ってでも

生えて来ようとする生命力、

人や車に何度踏まれてもまた

立ち上がろうとするたくましさ。

 

本来、人間は自然とともに

循環の中で生きていける生き物。

 

むしろその方が調和がとれている。

 

いまの社会システムは

経済を優先しすぎていて、

人間に本来必要な自然がどんどん

人工物に変えられていっている。

 

途上国などで、自然の中で、

そういう暮らしをする度に

ずっと考えてきた「幸せ」とは?

 

なんでもモノが揃ってるこの日本。

綺麗な水も、つけ放題の電気も、いつでも使えるガスがあって、モノもありふれていて

どうしてこんなにも多くの日本人は

何かへの不足感を感じ、満たされることのない欲求を持ち、孤立感を感じ、自殺者が多いのか。

 

不便=不幸せ 

ではないということ。

(便利=幸せでもない)

 

むしろ

不便さが生んでくれる

人との繋がり、あたたかい交わし合い

がある。

  

ニセコの森の中に生きる夫婦と子供たちは

ほんとうに暖かかい繋がりがあって

愛を感じる家族で、助け合って

たのしく幸せそうに生きていた。

 

こんな幸せな家庭を築けたらいいなあと思うとともに、自分の「内側」とも向き合ういいきっかけになった。

 

 

わたしは思考に囚われてる。

心の声をしっかり見極めたい。

自分の人生の舵取りをして行く際に

自分の外側にある要因や

今ではない視点にたってでてくるものが

ものすごく多い。

「他人」「過去」「未来」を生きるんじゃなく

「いま」、「自分」を生きるんだ。

 

親がどうだとか

出会った先生がどうだとか

昔どうだったからとか

これからこうかもしれないからだとか

そういうもの、ぜーーーーんぶとっぱらったときに、わたしのなかに在るもの。

 

こころが踊る瞬間

たましいが喜ぶ瞬間

 

その一瞬一瞬を、

大事に大事にしていきたい。

 

もちろん、何かを手放すことは怖い。

失うかもしれない恐怖や

後悔するかもしれない未来や。

それでも自分の心の声、今ココ、

何を感じてる?どうしたい?

それを思考の波に飲み込まれることなく

行動に移していこう。

 

「こう生きていきたい」という

イメージがリアルな現実で体験できたこと、

 

私のこころが「すてきだ」と思う人に

たくさん出会えたこと、

 

思考と『心』、

他人と『自分』、

過去、未来と『今』、

それらを混合してた自分に気付けたこと、

 

たくさんの意味で、

『ああ、これからだな、自分の真ん中を生きる人生は』と感じた。

 

ピースボートの出港曲で選ばれた

ブルーノの「today my life begins 」

「今日、これから、わたしの人生始まるんだ!!!」って感覚を大切に生きていこう。

もっといえば、その感覚を、1日1日、

毎日感じれるような人生を生きたい。

 

*大学を辞めるかどうか

*自分は「教育」なのかどうか

 

この2つをまずは見極めよう。

外側に答えはない。

外側に何かを求めても意味はない。

答えは自分の内側にある。 

 

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大切な人からのことば。

 

 

22歳。

自分の心の思うままに。

真ん中を。

 

 

 

 

 

『家族』 への革命

家族。

その言葉を聞いて人それぞれ

思い浮かべるもの

胸に生まれる感情

持つイメージ

は違うと思う。きっと人の数だけある。

 

いま、わたしの中での『家族』

というものが大きく大きく

変わろうとしているところにいる。

 

もうすでに大きく変わっているものもある。

 

めっちゃ簡潔に説明するならば

わたしが2歳の時にDVなどが

理由で両親は離婚。

3個上のお兄ちゃんは父の方へ

わたしはお母さんの方へ。

単刀直入に言えば〈希薄〉な家族関係だった。

絆も信頼関係も愛もない〈表面上〉の家族だなと自分で思う時もあった。

 

そして自分が抱える様々な問題が

この家庭環境からきているのではと

感じることも多くあった。

 

 

 わたしの尊敬している
坂爪圭吾さんの言葉に

 

『家族の問題がクリアされると、人生はボーナスタイムに突入する』

というものがある。

 

わたしはまさにボーナスタイムの

すぐそばまで来ている気がしている。

 

 

親子で一緒にごはんをつくって

同じ食卓でごはんを食べること

「おいしいね」って言い合えること

 

そんな当たり前のような

家族団らんがどれだけ

あたたかくて、幸せなことか。

 

涙を見せ合える

感情を共有できるということが

どれだけ幸せなことか。

 

親が自分にしてくれる行動から

愛を感じれるということが

どれだけ幸せなことか。

 

『家族』のつながり、絆、あたたかさを

実感して、嬉しくて嬉しくて涙が出ることが

どれだけ幸せなことか。

 

きっとみんな、ずっと、わからなかった。

お母さんも、わたしも、お兄ちゃんも。

 

でも、この前の新潟帰省で

みんな、わかった。

親子3人そろって、共に時間を過ごして

感じた。あたたかい、しあわせを。

 

あれは、「必要な過去だったんだ」と

心から思えた。

 

そして、登場していない父ですが、

離婚後もわたしとお父さんは

2人で月に1度ごはんに行ったり

関係は幼い頃からずっと続いていた。

お父さんは昔からすごくわたしを

かわいがってくれていた。

 

そんなとき、1年前に【ある出来事】があってわたしはお父さんと縁を切った。

 

あの日ほど、自分の中で

悲しみ、憎しみ、辛さ、苦しみ、怒り  などの

マイナスの感情が溢れかえって、

涙を流した日はない。

 

そんなことがあり縁を切っていたお父さんに

今日、わたしは手紙を書いた。

それはもうすぐでわたしの誕生日だから。

 

『誕生日は周りにお祝いされる日ではなく

生んでくれた親に感謝をする日』

 

この言葉をどこかで見て心に残っていた。

 

だから、【ある出来事】が起きて

わたしが

何を思い、何を感じ、何を考え、何に気付き

この1年を過ごしてきたのか、

そして、いま、わたしが何を思っているのか。

自分の中でどんな変化が起きたのか。

(変化に関してはソーヤ海さんとの1対1のヒーリングがでかかった)

 

自分の心に寄り添い

お父さんの心にも寄り添えるようになった今、伝えるならこのタイミングだなと思った。

 

その手紙を見て、父親が何を思うかは

わたしにはわからない。

これを機に、わたしと父親との関係も

新しく爽快な風が吹いて、

またもうひとつ、革命が増えるといいなあ。

 

まずはわたしから。

それから

父親 --- お兄ちゃん。

最終的にはいつか

父親 --- 母親  の間でも革命が起きたらおもしろい。

 

そんな革命、今はまだ想像もつかないけれど。

 

きっと、

想像がつかないことがたくさんある人生っておもしろい。

 

想定「内」から「外」にいくには

ちょっとの勇気を出して

でっかい恐怖に飛び込むこと。

ただそれだけ。

そうしたらきっとたくさんの革命を起こせる。

 

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結婚式。感じたこと。

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いとこの結婚式が地元の新潟であって

久しぶりにいとこ家族みーーーんな

日本各地から大集合した。

 

今回初めて、結婚式を目の前にして

わたしは2つのことを思った。

 

1つは結婚式って

すごくひとがしあわせな気持ちになる場だということ。

子どもは親に今までの感謝を感じ、

親は子どもが新たな人生歩んでいくことに

感動して、溢れてくるものがあって。

周りの仲間たちも、結婚する2人も

みーーーんなみんなしあわせな気持ちになる。

 

それぞれの家族の間にも

新郎新婦の間にも

愛をこんなにも感じる。

 

そんな結婚式ってすごいな〜

すてきだなあ〜って思った。

 

 

そして、もう1つは

形式ばったカチカチな感じに

すごくわたしの心が窮屈さを感じたということ。

型にはめようとすることで、

その型にはまるひとはいいけれど

型にはまらないことや、

はめることで「異」が生まれること、

があると思う。

自分がもしいつかこのような場を

つくるとしたら、もっとゆるや〜かで

たのしーくやりたいな〜と。

 

もうピクニックのようなフェスのような気分でみんなが来れるような、服装も自由で、ダンスも歌も遊びも芸もあるような、それでいてみんなマイカップ・マイ箸持参しちゃうような、てかなんならみんなで持ち寄りごはんみたいな、地球への優しさもあったりして。笑

 

格式ばった感じは一切抜きにして

みんなで食べて飲んで歌って騒ごう!

それでいて感動的な映像も作ったりして

みんな泣いて笑って楽しもう!

みたいな結婚式あったらめちゃ面白そうやん!

って思う。それを山の中とか、川のそばとか、自然のあるところでやれたら最高。笑

 

 

従来のスタイルにこだわらず

囚われることもなく

どんどん新しいカタチを生み出していくこと

きっとその方がわたしの心はワクワクするんだな〜。

 

ということで

ほんとうに愛の溢れるしあわせな時間を過ごせた。結婚おめでとう🎊いとこに感謝。2人ともお幸せに^^ 

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いい新潟帰省だった。