mayu76’s diary

感じたままを、ありのままに、正直に。

思い出したこと。

ただの、「いち人間」であることを。

 

 

 

 

 

ただの、「他人」であることを。

 

 

 

 

 

「彼と」幸せになるのではないことを。

 

 

 

 

「わたしと」幸せになるのではないことを。

 

 

 

 

彼は、彼で、幸せに生きる。

 

 

 

わたしは、わたしで、幸せに生きる。

 

 

 

 

 

当てはまる関係性がなく、

 

 

いち人間として、対面したとき、

 

 

交わせる気持ちが、触れれる温度が、

 

 

どれだけくすぐったいものかを。

 

 

 

 

わたしは見失っていた。

 

 

わたしは忘れかけていた。

 

 

 

 

どこまでも不器用だ。

どこまでも極端だ。

 

 

 

 

 

たくさん出てくる、「反応した」思考、考え、言葉。

 

 

 

それを口にした直後に、俯瞰して

 

わざわざ演じてる自分に気付くわたし。

 

 

 

演じきって、飲み込まれてる自分から

 

 

一歩引いて、なりきりを辞める自分へ。

 

 

 

まだまだ、そのままいっちゃうときもあるけど、

 

 

前に進めてんじゃん?

 

 

 

 

 

OK、OK。

 

 

 

 

他人には「敬意」をね。

 

 

 

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涙を流し合って、握った手と手。

やっぱり必然だったと思えている新潟帰省。

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いつぶりだろうか。

 

 

お母さんの目の前で、

 

泣けた。

 

 

 

いろんな涙を流した。

 

 

責められているように感じ、

悲しくなって流した涙。

 

 

 

責めてるわけじゃないんだよ

と、悲しげに、優しげに、一生懸命

言ってくるお母さんを見て、

流れた涙。

 

 

 

もう前提や価値観が違すぎて

根本的なところから理解し合うことは

無理なんだと、諦めたときに

寂しさと清々しさとともに、

流れた涙。

 

 

 

お母さんの中にある、

自分を責める気持ち、

自分の親への後悔の気持ちに

触れたときに

流れた涙。

 

 

 

お母さんの中にある

純粋な

 

葛藤

苦しみ

やるせなさ

わたしに吐き出してくれたときに

流れた涙。

 

 

前にまゆは、

「まゆが小さい頃、お母さんは、まゆのこと、どう思ってたの?」って聞いてきたけど、

 

正直、わかんないんさ。

どうしようもないくらい不器用なんさ。

わかってるよ、口数も少ないし、強がりだし、素直じゃないし、うまく伝えられないけど、それをわかってるけど、自分でもどうしようもないんさ。

嫌いだったとかではないんだけど、うまく接することができなかったというか、接し方がわからなかったんさ。

 

そのせいで、まゆにも迷惑かけたよね。

 

ごめんね、まゆ。

 

 

 

そう言って、わたしの手を握ってきてくれた。

 

(思い出して書いてる今、涙が流れてる。)

 

 

 

そんな風に、 

 

お母さんが、

 

涙ながらに、

 

胸の内を、

 

ありのままに、

 

さらけ出してくれたのは

 

 

初めてだった。

 

 

お母さんが、涙を流しながら、

真っ直ぐに、わたしの目を見てきて、

「ごめんね、まゆ」

と言ってきた、あの瞬間が、

頭に焼き付けられてて離れない。

 

2人で手を握り合って、涙を流した、あの瞬間が。

 

 

 

 

わたしは、お母さんの涙を1回しか見たことなかった。

 

 

 

わたしとお母さんとで、長年飼ってた猫が死んだとき。

 

 

1つの空間に

 

2人。

 

 

おたがいに悲しみ、

 

おたがいに涙を流すけれど、

 

悲しさを伝え合うでも

分かち合うでもなく、

 

ただ。涙を流した人間が、一緒に悲しい空間の中にいた。

 

 

 

 

お母さんは何度も何度も何度も言った。

 

 

親ってのは、いつかはいなくなるんさ。

当たり前のことなんだけど、亡くしてみないとわかんないんさ。

 

 

だから、自分がいなくなっても、

ちゃんと自分の子が生きていけるように。

 

 

愛から、言ってくれてるんだと。

 

 

そう受け取れた。

 

 

 

そしてお母さんの願いは

『安心させてほしい』だった。

 

 

(もうすでに安心してもらっていいのになあ〜と勝手ながら思っているけれど、、)

 

 

わたしは、

 

自然の中で、自然に生かされながら

共生しながら、生きていきたい。

失っている多くの「人間の能力」を取り戻したい。

音、におい、色、感触、目に写るもの

感覚を味わいながら生きていきたい。

アナスタシアの世界観が理想。

野草、薬草もっと勉強していきたい。

野草を見つけながら、覚えながら、山を歩くのが、ほんとうにワクワク。

星を見ながら、宇宙の奇跡に、感動しながら、日々を生きてたい。

心と想いのこもった、シンプルな料理を、味わって食べてたい。

人と繋がりたい。

新しい世界と出会う喜びを味わい続けたい。

人の柔らかい部分で、やりとりをしていたい。

隠したくなる弱さや寂しさを、分かち合って、寄り添い合って、生きてたい。

 

 

 

 

そういう、在りたい在り方がはっきりしてて、

そのbeを叶えるためのdo(すること)はそこまで、これ!!って決めてるわけじゃない。

(とりあえずこれからは、山で暮らそうとは思ってるけれど)

 

 

だから、お母さんにとっては、

わたしの在りたい在り方は、

戯言にしか見えず、

『で?どうやって稼ぐの?どうやって生きてくの?』

という目でしか、会話ができない。

 

 

 

そこらへんの言い合いになってるとき、

 

あ、これは、わたしのしたいやりとりではないし、意味をなさない会話だなと思って、ソファに横になり目を閉じて、強制的に話を終わらせた。(ちょっと悪かったかなあと反省。)

 

わたしはお母さんと、

なにか外側の情報をひっぱってきて、

言い合いっこをしたいわけじゃない。

 

 

 

お母さんが持ってる

たくさんの、前提、当たり前、常識、

「働いて現金を得ないと生きていけない」

「生活するのにたくさんお金が必要」

「人なんてそんなもん。あてにしちゃいけない。」

「頼っちゃいけない」

「人からお金をもらうってことは、すっっっごく大変なこと。生半可なもんじゃない」

 

 

 

わたしの中にはなくて。

 

 

そんな厳しくて過酷な世界、

わたしは見てない。見ない。

 

 

そもそも不安も感じていない。今この状況に。

 

 

 

奨学金の返済もぜーんぶで

400万?くらいあって、

貯金も数十万で、

毎月の支払いはあって

働く予定はいまのところなくて。

 

 

 

お母さんがうんと、熱弁していたなおのことも。

 

 

なおに、働いて欲しいだとか、

なんだろー、一般的なやつ、

しっかりして欲しいとか?

 

そういうの全く思わないんだよね。

 

なおが、社会一般的な「働く」が

できるとは思わないし、

して欲しいとも思わない。

 

 

ただ、

《自分の人生における、役目を全うする》って意味の「働く」は、できると思ってる。

 

それを軸に考えていくよ。

 

 

それで生きていけるかどうか、

現金が入るのかどうか、は、

結果のお話というか。

 

 

最初からそこありきに、

そこだけをがむしゃらに、

ってのは、なんか違うなあ〜って思うんだよね。

 

 

 

まぁなんか、とにかく、

生きていける、謎の自信があるんだよね。

 

 

 

とっても感覚的だから、

散々親とかには「甘い」と言われるのだけど、

 

時代はどんどん変わっていて、

新しいものがどんどん生まれてて、

お金の概念も溶けていってる。

 

 

 

 

 

可能性を見てたい。

信頼をベースに。

 

世界への、自分への、信頼を。

 

 

 

 

在り方だけ、どう在りたいかを、

ちゃんとわかってれば、

流れや、メッセージをちゃんと受け取れれば、

 

何かをしなければ!

 

って力を入れていなくなって、

 

人生は運ばれていくと思っている。

 

 

 

でも、お母さんの言う通り、

 

 

受け取ってるメッセージや

自分の思うことを信じて、

 

《決める》

そして

《動く》

 

っていうのは、とても大事ね。

 

 

それがいま、これからなんだろうなって。

 

やっぱり、

 

動くとき、ステージが変わるときなんだと思った。

 

 

 

お母さんとのやりとりを通して、

確かに「甘さ」もある、

論理的に話しされたら言い返せないところもあった。

でも、それでも、わたしは、このままでいいんだなあって、そう思えちゃった。

 

 

そして、そんなに躍起になるほど、

お母さんは、これまで社会で

大変な思いをしてきて、

だからこそ、愛から話をしてくれてて。

 

 

 

その想いは、ちゃんと受け取った。

 

 

 

インド前にも、お母さんとの関係が、

大きく変化したのだけど、

過去記事さようなら。被害者ぶってたわたし。許せなかったわたし。 - mayu76’s diary

 

また今回、おっきな、一歩だった。

 

 

それは、なんか、不思議な感覚で、

 

 

初めて、お母さんを、

 

いち人間として、感じれて、

 

その言葉の意味は、なんか、

前世ではうちら姉妹だったんじゃないかな

って思ったような、そんな、感覚。

 

 

 

 

謎に、《親子》という枠が、概念が、

 

わたしたちの関係を、よじらせていたのかもしれないなって。

 

 

ただの人間と、人間。

ただの魂と、魂。

 

 

そうに思えたなら、

 

母親のくせに!とか

親のくせに!とか

不平不満が出ることも、

 

「母親らしさ」に苦しめられたり

「理想の親子像」に苦しめられたり

することも、

 

母親からの、愛に、異様に執着することも、

 

 

なかったのかもなあ、と。

 

 

 

本来、ひととの関わりはぜーんぶそうなんだけどね。

 

 

知らず知らずのうちに、

関係性に囚われてしまうことがあるんだろうね。

 

 

 

 

44歳のみつえ と

22歳のまゆ。

 

 

ちょうど半分。

 

 

そんなわたしたちは、

ともに、人生初めての選挙に行ってきました。

 

 

いつも、

選挙用紙が届くなり、

ハサミでジョキジョキと切り捨てるお母さんが、(今回のも案の定捨てられていた)投票するだなんて、、!

 

誘ってみたかいがあったなあ(^ν^)

 

 

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頑張り屋、卒業。

 

日本に帰ってきて、道をお散歩して、

花の美しさに感動した。

 

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日本はなんて、花が多いのだろうと。

 

日本はなんて、美しいものが多いのだろうと。

 

 

ゆりなさんに教えてもらったヒーリングをお花にしてみた。なにかを手のひらに感じた。

 

 

目に見えないもの、

目に見えない世界、

確実に、おもしろい。

 

 

 

空もきれいだ。

これは今いる群馬は、特にきれいだと思う。

いつも晴れた日は、空が青い。

 

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何気ない葉っぱも美しく見える。

 

 

空が青いこと、包んでくれてること、

太陽が暖かいこと、日が差していること、

 

ぜーーんぶ、愛で

ぜーーんぶ、ギフトで、

見返りなんてない。

 

 

ただただ、与える。

ただただ、自分の命を全うする。

 

その姿に惹かれる。

 

 

わたしもそうありたいと、おもった。

 

 

 

.

.

.

 

もう、1人で立とうとしなくていいのかも。

 

 

もう、足りないところを、

 

直そうとしたり、

 

どうにかしたり、

 

努力したり、

 

ごまかしたり、

 

頑張ったり、

 

しなくていいのかも。

 

 

 

 

 

わたしには、こんな足りないところがあるんですって。

 

だから助けて欲しいんですって。

 

 

そう言える自分、新しいね。

 

 

そうあれるようになったら、

緊張もとれて、慢性的な首の痛みもなくなるのかな。

 

 

『頑張る』

『頑なに、張る』

 

 

 

それは、もう、必要ない。

 

 

 

もう頑張り屋は卒業だ。

(全く頑張らない部分もたくさんあるけど。。笑)

 

 

 

だから、目の前で、自分の足りないところ、弱いところを認め、全力で助けを求めてるなおの姿を許そう。その姿と真摯に向き合おう。

 

 

 

 

そして、空や太陽や花のように、

ただただ、与える。

与えてる側に思えて、ほんとうは受け取ってるから。与えられてるから。

 

 

 

それは、お互いの関係を窮屈にすることとは違う。空を低くすることとは違う。

 

 

 

より、深いところで、つながるための、一歩なんだ。

 

 

 

.

.

.

 

同じ場所で

確かに違う「いま」。

 

 

 

リハビリをふたりですること、

それはまぐあいと、おなじものを意味する。そう、信じて。

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鏡によって照らされる、傷。

 

自分に近い存在は、

自分にとっての、強い鏡となる。

 

 

強い鏡は

自ら作ってきた傷を

強く照らす光になる。

 

 

光に照らされた、わたしの傷。

 

 

それを、どう扱うかは、

選べるんだと。

 

こんなにも自分で傷つけてきた、「わたし」がいるんだと。

 

そう気付くことができた。

 

 

そして選べるということを。

 

 

 

 

 

なおに助けの手を出すものの、

 

不満ばかり、見返りを求めてばかりの自分を、許してしまおう。

 

 

そこで生まれる、わたしの内側の声に、耳を傾けよう。

 

 

 

 

作り上げきた自我。

 

 

「わたしはこういう人間」

「わたしってこういう癖あるから」

「わたしって〜だったから」

 

 

そんな自我や過去を、

 

起きる出来事の度に、浄化して、溶かしていこう。

 

 

目の前の現象に、自分を見る。

目の前の現象から、自分を知る。

 

 

そして、それを一歩引いて、人生ゲームのように見るんだ。

 

 

 

以下、もやもやが晴れた直後に書いたメモ。

 

 

わかった!

 

 

なおに対して、

もろもろでる不満は

ぜーーんぶ

自分の癒されていない「小さい茉優」のこえ。インナーチャイルドてきな。

 

その子に共感しよう。
寄り添おう。
そしてこう唱えるんだ。

 

 

 

ありがとう、ここまで生きてくれてて。

 


傷ばかりつけて、ごめんね。

 


そんなわたしを、許してください。

 


あなたを、愛しているよ。

 

 

 

って。

 

 

クリーニングしてこう。

 

 


助けて欲しいんだよね


そばにいて欲しいんだよね

 

こっちを見てほしいんだよね


横に来て欲しいんだよね

 

受け入れられたかったんだよね

 

認められたかったんだよね

 

愛されてるってこと、感じ切りたかったんだよね

 

それくらい、癒されていない「わたし」がいるんだよねって。

 

 

 

その、
【癒されていないわたし】
に気付かせてくれて、

癒すチャンスをくれて、
本当にありがとう。

 

 


わたしが1人では気付けない傷を、
なおが気付かせてくれる。

 

 

 

 

その傷をまた、えぐることもできる。

 

 

そして、

 


その傷を、癒すこともできる。

 

 

 

 

わたしはどっちをえらぶ?

 

常にその選択だよ。

 

 

 

自我が形成される前の、ちいさなわたし。

と、おにいちゃん。🌻

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変化。スタートライン。想念。

やっとわかった。

見え方が変わった。

 


「それくらい自分でやったらいいのに」

 

「甘え過ぎ」

 

そう、なおに対して
わたしの頭の中に生まれるものは
なお自身の中でも生まれていた。


ということを、今朝のやりとりで、初めて知った。

 

というか、なんていうかな、実感をもって、「わかった」。

 

 

 

なおは、自分の中に生まれる
数々の嫌悪、抵抗感を、乗り越えて

 

 

わたしにその姿を、見せてくれていた。

 

 

わたしは自分に許せないことを
なおにも許せずいたけれど、
だからいちいちイライラしていたけれど、


なおは自分の中で、向き合いながら
抵抗感と戦いながら、それをしていた。

 

それは許し。

 

 

 


なお曰く

小さいころ、女であるがゆえに、男たちの仲間に入れてもらえなくなったとき、


こんな自分じゃだめだ!


もっと一人前にならなくちゃ!


こんなことで悲しんでちゃだめだ!

 

 

そう、言い聞かせて、言い聞かせて、生きてきた。

 

 


だから、

自分の中に確かに生まれている【悲しみ】を、認めることができず、

受け入れることもできず、

許すこともできず、

でも辛すぎて、どうしようもないから、

【怒り】が出る。

近い人に当たりまくる。

 

 

なんでわかってくれないんだ!

 


察してよ!

 

って。

 

 

 

人はみな、怒りの根っこには悲しみがある。
でもその根っことなる悲しみに目を向けて、そこを相手に伝えることがたいせつだけれど、なおはそれをずーっとできずにいたんだなあって。

 

 


ほんとうは、悲しみを見過ごしたくなかったんだよね。

 

 

ほんとうは、悲しむ自分を、許して受け入れてあげたかったんだよね。

 

 

ほんとうは、悲しみを、味わい尽くしたかったんだよね。

 

 

ほんとうは、悲しいよって、大切な人に、伝えたかったんだよね。

 

 


そんな風に思った。

 


ここ最近ジタバタ、喧嘩してばかりで、

初めて、なおに寄り添えた気がした。
久しぶりな感覚だった。

 

 

 


わたしは、なおとの関係が始まってから、

何百回も「悲しい」ということを、なおに言われている。

 

 


その度に、わたしは、
自分を責め、

自己卑下モードになったり、

ひねくれたりしていた。

 

 

 

なんてことをしていたんだ、、!

 

 

 


あんなにも、

 

悲しいということに気づけなかったなおが、


悲しいと言えなかったなおが、

 

「悲しいよ」と言葉にしてくれてきたこと。

 

 

それがどれだけ、
うれしいものなのか。

 

 

責められているように感じて、反応してたわたしとさよならしよう。

 


だってそれ、なおからしたら、お祝いだよ。

 

(悲しんでるのに、めでたがってたら、また怒られそうだけど。。)

 

 

それくらいに、お祝いくらいに、なおにとっては、

 

ひとつ、

ありのままに在れてる、

そんな瞬間なんだ。

 

 


というか、ピースボートで出会った頃、
あまりにもなおが、自分の中に生まれている感情に鈍感すぎて、

 

「くわちゃんのこころがかわいそうだよ!」

 

と散々言っていたのは、わたし。

 

 


そして、

 

なおには心のままに生きて欲しい、

 

と心から思った、そんなわたしの初心が、

叶いだしているんだなあ。

 

 

 

今朝、3時に目が覚め、リハビリしなきゃと、思ったものの、あまりの痛さに中断。

この先の不安や、自分を責める気持ちに、気持ちが下がっていた。

 

そんな、なおが、

 

「抱きしめて欲しい」

 

と叫んだ。

 


初めてのことだった。


初めて、怒りではないもので、SOSを叫んだ。

 

 


純粋に、うれしかった。

 

 

なおが何を言っても、何をしても、

相手の反応に関わらず、

ただ、強く抱きしめ続けること。

 

それが本当の愛なんだなって。

 

 

いまのわたしにはそれができなかった。

 

相手の言動に反応して、わたしを突き動かしてしまうものは、わたしの内側にある。

 

ということを、忘れないでいよう。

 

 

 

 

そして

新しい選択続けること
新しいチャレンジをすること

わたしもなおを見習おう。

 



 

16日に新月を迎えてから、
確実にわたしたちは、新しい色で「いま」を過ごしている。

似た状況になっても、これまでにはなかった展開になっている。


新鮮な感じ
スタートラインに立った感じ
新しい始まり。

 

「これまでのわたし」を崩壊させて

「これこそがわたし」を創造していく。


過去を引っ張らずに
色鮮やかな、いま、を過ごそう。


人と人の関係って
同じ人間同士の間でも
何度でも、新しくなるんだ。

 

 

わたしたちの関係性の色カタチは目まぐるしく、変化している。

 

 

 


2度と同じ「いま」などないし
過去と同じ「いま」もない。

それは現象も、人間も、おなじ。


だから、ほんとうに、おもしろい。
そう在り続ける限り、飽きるということはないのだろうな。


そんな、心踊る、わくわくした時間を、
なおと、積み重ねていきたい。




あともうひとつ。

今日の瞑想、2人で座っている時に、
ほんとうはダメだけど、
ふと、なおへの感謝や尊敬の想いが
湧き上がってきて、
瞑想をして目をつぶっているなおのほうを向いて、


「ありがとう。尊敬してるよ。あいしてるよ。」

 

ってなおの方を向いて、ばっちり目を開けて、そう心の中で唱えた。

 

そしたらその瞬間に、なおがわーって湧き上がる表情をして泣きそうになってた!!

 


わ!これはぜったい想念だ!


いまこの瞬間、わたしたちは、無意識で繋がったな!

 

って思った。

 

 

そしてその、数分後、
瞑想の切れ目に、


なおがわたしのほっぺにキスをした。

 

 

その無意識下での、やりとり、つながりが、今度は目の前で「現象」になった!すげー!!

って思った。笑

 

 

なお曰く、なんかわからないけど、キスしたくなった、とのこと。

 


これぞまさに無意識、想念なのだとおもう。

 


想念は、光より速い、と聞いた。


おもしろい。


これからはどれだけ、波動やエネルギーといった【目に見えないもの】を信じて、そこにフォーカスをあてていくかによって、目に映る世界が決まってくるのだとおもう。

 

 

 

 

残り6日となり、

ルピーに大胆になり、THE観光客になりだしたわたしたち。笑

 

in  インドの服屋さん

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NOに正直でいること。自立。


カメラの前で中にあるものを全部吐き出してみたら?
と言われて、1人カメラの前で、思いつくままにしゃべってみた。

たしかにわたしは、文字だと取り繕えちゃう。
でも映像って、ごまかしや取り繕いが、リアルにわかってしまうんだろうね。




ここ最近よく目につくキーワード

 

自立
依存
喪失感
孤独
新たな一歩

 

あーこれは完全に、
「自分から、なおと離れることじゃん」
って思う自分がいた。

 

1個前のブログに、つらつらと書いた。

なおへの文句や、
自分の被害者ぶりたい度や、
暴力的な醜い部分を持ってること、
父親のこと元彼のこと、
恋愛関係の人とは自分から離れれないこと。

http://mayu76.hatenablog.com/entry/2018/04/15/133836

 

 

 

わたしは、最近
自分が生き生きしてない感じ
遠い目をすること
どうしてこんな日々を過ごしてるんだろうって疑問
なんだかスッキリしない、もやもやした感じ


それらは、「なおといるからだ」と思っていた。

 

だからそこから離れれば、
自分の望む状態になるんじゃないかって思ってた。

 

自分から離れるということは、
これまでわたしがなかなかしてこれなかったことで、新しい選択になるから。

 


でもそれは違った。

 

完全に人のせいにしてた。


ぜーんぶ自分でそれ選んでるのに。

 


わたしは《自立》のことばの意味を

履き違えていた。


なおから離れて1人になれば
自立できるわけじゃない。

 

 

 

わたしの意味での自立は、
自分の中のNOに正直でいること。

 

 


なおがこうしてって言うから
なおがこれを求めてるから

それに応えるばかりで、

自分の中に生まれる正直なものを、
ぜーんっぜん、出せなかった。
というか気付かないふりしてた。
目をそらしてた。

 

やりたくないことはやらない。
したい!って思えないことはしない。
湧き出る気持ちがないのに、偽らない。
いい人のフリをしない。

 

なおの悲しむ顔が見たくないとか
なおの辛さ、苦しみに寄り添いたいとか、
もう一旦いいよ。

 

いい人ぶるの、やめにしよう。


わたしのなかで、
いっちばん言いたいこと(やだ、したくないって)言えないのが、
1番近い存在のなお。

 

大切だからこそ
失いたくないからこそ。

でもそれ1番ひどくて、1番失う可能性高めてる。

 

 

近ければ近いほど、
断るのが怖いんだよね。

嫌われるのが怖いんだよね。

そこから相手が離れてっちゃうのが怖いんだよね。

だからましてや、自分から離れることは選択できない。

 

でもそれは執着してる。こころが不健康だ。

 

関係性に軽やかさを求めてたはずが、

知らぬ間に

いつのまにか

どっっしりと、重たいものになっていた。

 

 

そして、この数日間でわかった。


自分のNOに正直にいれないと
どんどんどんどん、蝕まれてく、腐ってく。

 

訳がわかんなくなってくる。

何がしたくて、何がしたくないのか。

 

「ほんとうの自分」がわからなくなる。


だから2人の関係もこじれてく。
というかわたしがこじらせてる。

 


自分のNOに正直にいることで
離れて行く関係ならば、
それはそれ、って受け入れること。

 

それが、わたしにとっての自立だなって。

 

 


とはいえ正直になると本当にわたしは残酷な人間で、

そのときの気分によって
なおのリハビリを心から手伝いたいと思えてなかったり、
(今も隣のベッドでなおが1人苦しいリハビリをしてる横で文字を打っている)

 

性への囚われが強いなおの前で、平気でまぐあいのときに、自分の本当の本当の気持ちから目を背けたりする。心から触れたいと思えてないのに、触れたり。


それはもう裏切り。

 

なおは、わたしによって
どんどん、ブロックが強くなってく。
どんどん、身を委ねたくなくなってく。

 

なんてひどいんだろうね、わたし。
なにをしてるんだろうか。

 

どうして大切な人なのに、
こんな冷たく在れるのだろう。

 

正直でいないことって、
何より人を傷つけるんだね。


それを何度も何度も繰り返してる。


いい加減、突き抜けたいな。

 

わたしたちは、

愛ある穏やかな時間を過ごせたかと思えば

そのすぐあとには、

些細なきっかけで闘ってばかり。

 

 

もがいて

当たって

傷つけて

突き放して。

 

どんどん脱いで

素っ裸になるなおに、

わたしはどこまで、横にいれるのだろう。

 

自分が変わらない限りは

自立しない限りは

2人の関係は成り立たなくなっていく気がしている。

 

そろそろ分岐点だ。

 

すべては移り変わっていく。

 

なおを

憎たらしく思う瞬間はたくさんあるけれど、

愛おしく思う瞬間もたくさんある。

 

 

わたしは、なにを、決めるのか。

 

 

 

 

 

 

 

ちなみにこのときの

わたしがカメラに向かって吐き出してる映像は

なおは最後まで見てくれなかった。

 

いつもと同じことを言ってる。

まだそんなことを言っている。

 

【うわっつら】って思ったのだろう。 

 

(後から聞いたら

「興味が持てなかった」と言っていた)

 

そして1人、リハビリを始めた。

わたしはそれを手伝おうと思えなかった。

 

今なおがインドで通ってる病院での通院生活は

一旦、明日でおわり。

 

インドでの旅を続けるのか、やめるのか。

 

日本に帰るのか、帰らないのか。

 

撮影を続けるのか、やめるのか。

 

てぃんくるも今、撮影のこと、映画のこと、スタンスのこと、揺れている。

 

 

わたしたち3人は、それぞれ、過渡期にいる。

 

なにを選択し、どこに向かうのか。

 

未知。

 

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全ては自分で選べる。

被害者ぶりたい自分を認める。
だったらもうばーって出してみちまえよ!
と思ってなおに対しての文句を書きなぐった箇条書き。

 

・顔面を鷲掴みにされ、指が目に入った
・叩かれた
・「死んでほしいと思った」って言われる
・「もうやめて。邪魔くさい」って言われる
・リハビリを手伝ってもキレて「1人でやる」と言われる。でもいざそのまま放っておくと、「どうして手伝ってくれないの?」「どうして助けてくれないの?」と言われる。
・ご飯を作っても来るのは文句ばかり
・というか、なにをしても文句ばかり
・殴られるかもって瞬間が最近よくある
・なおはなおフォーカスなのに、わたしがわたしフォーカスになると一緒にいたくないと言われる
・主人公はなおだから、なおを見てっていう強烈なアピール
・わたしがいる後ろを全く気にせず、あたかも1人で行動したいかのように、1人スタスタと歩く

 

 


リハビリの痛み、ストレス、過食。
なおはいま、
盛大にジタバタしてて、
怒りに飲まれて、
わたしを突き放す。当たり散らす。

 

 

がんばって
勇気をだして
差し出した手を
簡単に振り払われる。

 

 

リキシャのドライバーや
スーパーの入り口の人に
この日本人みた?って聞き回って
ようやく居場所がわかり、なおの姿を見つけ
少し迷ったけど勇気をだして歩み寄っても、
簡単に振り払われる。

 

一緒にいたくない。なんできたの?
って目で見られる。

 

どうして?

なんで?

なんなの?

せっかく〜したのに。

がんばって〜したのに。

勇気を出して〜したのに。

 


自分のニーズは
「茉優と一緒にいること」
「助けてもらうこと」
っていつもなおは言っているのに、

どうしてわたしを振り払うの?

どうしてわたしを突き放すの?




 

 

そんな風にいつも被害者ぶって、
すーぐ自分で自分を傷つけてた。


でもそれは、
《選べる》ということに気がついた。


ひどい!って被害者ぶって自分の傷にフォーカスし続けて、相手に怒りや憎しみをぶつけることもできるし、

 

相手からのそれをただ受け取って、ただひたすら、相手のほんとうのニーズに目を向け続けることもできる。


相手によって、自分が過去に傷つけた、自分の傷、が照らされてる。そこをまた傷つけるかは、わたしが選べる。

 

 

そんな風にしてしまうほど、
そんな風になってしまうほど、

苦しいんだよね、
SOSなんだよね、
って。

 

そう思えたとき、
どんな言葉を吐かれても
どんなに拒否されても

 

「わたしはあなたの方を向いているよ」
ってことを、伝え続けようと思える。

寄り添おう、と思える。

 


数日前、突然思い出した。
かつてなおと、やりとりをした。

自分や相手の、どんなに醜いところも、どんな怒りにも、どんなにジタバタしてても、
それを可愛らしく、愛おしく思えたなら、目に映る世界はどれだけやさしく、あったかく、すてきなんだろうね、って。

いつかそんな世界にいきたいねって。

そう2人でやりとりしたときがあった。


その最大のチャンスだ。

 

 

 

そしてもう1つ。

怒りに飲み込まれて、手が出るなお。

それはわたしが見てきた父親の姿と重なる。
それは過去にあった自分の姿と重なる。

 

父親はすぐにカッとなる人で、
母親に暴力してた。
よく、ものに当たってた。

 

そしてそんな父親と、似たところを持っている人とわたしがお付き合いをしてたとき、
彼がキレてものに当たってる姿を、

わざと、あえて、冷めた目で見てた。
怒りに飲み込まれてる様を
ものに当たってる様を
鼻で笑うようにしてた。

 

 

そうしないと、胸の中に生まれるドクドクした怖さに平気でいられないから。

 


でもそれは、ほんとうは、全然、平気でいられてなかった。

なかったことにして、無視して、抑え込むことは、できてなかった。

 


ある日、爆発したかのように、
わたしが怒り狂ったときがあった。

 

別れたいのに別れさせてくれない
離れたいのに離れさせてくれない
帰りたいのに帰らせてくれない。

 

そんな彼にわたしは、一瞬にして暴力的になった。

叩いて蹴ってひっかいて。

ようやく外に出れてもしつこく追いかけてくる彼を、傘で本気で殴ったりもした。

 

そして、そんな自分を、
見たこともない、暴力的な自分を
許せなかった。醜いと感じた。

 

父親やこの人と、自分おんなじなんじゃん。

そう思った。

 


そしていまは、なお。

手が出るなおに対して、
「結局父親とおんなじなんじゃん」
そう思ったことがあった。

 

でもそれは
わたし、ともおんなじ。

 

みな、その部分を持っている。


その部分をなかったことにすることも、
消し去ることもできない。

 

 

それは常にわたしの中にあります。
それを認めます。
それを受け入れます。
そしてそれを、愛します。

そう許すことが必要なんだ。

 

 

それはわたしにとって、
クリアしなくちゃならないものなんだな。

 

 


昨日なおとも話してたけど、
たまに、
もうこんなんだったら、
リハビリのために日本に帰ってもらって
なおと離れて、
自分1人の時間を作ったほうがいい。

そうすることで、今のわたしのテーマである
『自立』にも近道だと思った。


自らなおから離れようとするとき、
いつも体が震える。

怖いんだね。

 

もう1人で生きていけなくなるような、おっきなおっきなものを失うような、怖さを見る。

 


今までわたしは、恋愛関係の人間を
自ら振って、自ら離れたことがない。

 

なぜだか、それができない自分でいつもいた。

 

そこには絶対何かある。

 

だから、いま、このときが、
「そのとき」なのかもしれないと。

 

 

自分でも、どこか、薄々わかっていた。
自ら離れれない自分の弱さに。

 

そこには、カラッとした潔さはない。

涙や寂しさなどのじめっとした感じ。
でもそれじゃあ自分の中にカビが生えてしまうんだよね。

 

怖いけど
嫌だけど
今は離れることが
お互いにとってベストな道なのか。


その「離れる」にはなんの保証もない。

関係が続く保証も
気持ちが変わらない保証も
いつかまた会える保証も
ぜーんぶない。

 

アニッチャ。全ては移り変わっていくから。

 

離れるときは、全てを失う覚悟で離れるのだと思う。

 


『自分を大事にする』の意味を履き違えてると気付き、

 

「自分を大事にする」じゃなく
「自分だけを大事にする」自分に気付き

 

自分で選んで行動してるくせに
そんな自分はもうなおのパートナーなんかじゃないと、責める自分に気付き、

 

もっと、その瞬間、なおに対して、こうしたい、と思ったように、行動をしたいって、自分の望みにも気付き、

 

わたしがなにを選ぶかで、生まれる現実はこんなにも変わってくる、ということを実感し、


さあ、わたしはなにを選択するのか。

変わるのは常に今、この瞬間。

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