Mi amas vin.

My life is my message

社会で生きる、自分にとっての正解、複雑さは美しさ

ただいま。

またここに帰ってきた。

 

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ほんとふと、文字を綴りたくなる時がある。

でもそれはInstagramのストーリーじゃない。

でも投稿にかくほどのものでもない。

noteは自叙伝を書き終えるまでは別の記事はあげたくない。

 

というわけで、ここに帰ってきた。

 

 

最近思ったことをつらつらと書く。

 

 

・自分にとっての正解は外側のどこにもない

 

何かできごとあって、

それはどんな意味があるんだろう

それはどんなメッセージなんだろう

それは何が正解ということなんだろう

そうひとは考えがちだけど、

ほんとはそうじゃない。

 

その出来事が起きて、

自分が、何を感じたか

自分の、感覚がどう変化したか

自分の、選びたいものはなんなのか

自分が、したいことはなんなのか

 

どこまでも、見るべきは自分

 

現実は自分の好きなように解釈していい

起きた出来事は自分が選びたいものを選ぶ背中押しに使っていい

 

どこかや誰かに絶対的な正解があるわけでは、決してない

 

その一瞬、一瞬、自分の魂がしっくりくる、自分だけの選択がある。それを選んでゆくだけ。

 

 

 

・自分にとっての不快を快に変えてゆく勇気があればどこでだって生きていける

 

社会の中で働いていると

自分の不快ポイントが出てくる

 

ここまでは譲れるけど

ここからは譲れないっていうボーダーラインが見えてくる。

 

それはもしかしたら、一度最高に天国な自分の宿という生業を経験してしまったからなのかもしれない。

 

通勤もない、労働時間もない、自分の生き様や生活、そして素質が限りなくそのまま生業になってしまうという、最高に天国な環境で仕事をしていたからこそ、どうして通勤というものがあり、労働時間というものがある環境で働いてるのだろう、と、ふと思えちゃうのだ。

 

 

それは、その最高に天国ななかでは

得られなかった経験や

チャレンジできなかったことや

感じられなかった感情があって。

いまのまゆはそれを求めていて欲している、って分かっているから、天国は選んでいないのだけど。

 

だからまたどこか自然の中で自分の宿をやるのは30代になってからだと思う。

 

ほんでだ、社会の中で働いているけれど

ここまではいけるけど、ここからは無理!ってボーダーを少しでも超えるとまゆの心は決壊する。

 

自分の本心や本音を偽れなくなるということは

自分に素直に正直に生きるということで

それはある意味素晴らしいことなんだけど

社会のなかにいると、すこぶる我慢する力や忍耐力がゴミカスな自分を自覚する。笑

 

そんな些細なことで!!?って思われるようなことに我慢できずに泣いて、でもそんな自分に笑けてしまう。

 

笑ってしまう自分もいるのだけど

もうひとりの自分としては死活問題なわけで。

 

自分の心が決壊しないように

そんな些細なことで!!?って

自分でも思ってしまうような

小さな本音を、職場の人に伝えるのだ。

 

そうして、

ダメだったらダメでそこを去ればいいって捨て身の覚悟で、勇気をだして伝えるのだけど、今の職場は、ほんとうに感動するくらいに真っ直ぐに向き合ってくれるところで。

 

 

自分にとってのモヤモヤポイント、不快ポイントすべて伝えた。そしてそれは全て解決した。

 

 

いまはひとつも我慢がなく

心地よく働かせてもらえている。

 

情熱もあって

やりがいもあって

自分の素質も生かせて

仲間たちもだいすきで

ただ、たったひとつ『働き方』だけがネックだったから、ここをクリアできたことはめちゃくちゃ大きいのだ。

 

 

そうやって、

勇気を出して自分の本音を伝え

その職場を自分のcomfort zoneにしていくこと

勇気を出した結果それができないのであれば、その職場は自分がいるべき場所ではないのだということ。

 

そうやって出会う職場、職場で

まゆは実験をさせてもらっている。

 

この勇気さえちゃんと出して生きていけたら

働いてて鬱になることとか絶対ないし

現実逃避したくなることもないし

ストレスが溜まることもないのだろうなと思った。

 

 

ストレスは1番の害だ。

こころも身体も病気になる。

 

 

ひとりひとりが

たのしく

ストレスなく

心地よく

働ける環境があるはずだし

今はそうじゃなくても

勇気を出せばそういう場所に

変えていける環境だってあるはずだし。

 

仕事って本来、自分の情熱や、喜びや、才能が、誰かの役に立って、お金がもらえるっていう、なんとも素晴らしすぎるものだからね。

 

決して、いろんなこと我慢してストレス溜めて働く、のが仕事ではない。

 

 

まゆはいま、自分がしているいくつかの仕事すべてがたのしいって、思えている。

 

それはほんとうに幸せなことだし

つまりはその職場にいる「人」にまゆは恵まれているということ。

 

たくさん常々感謝を伝えようって思っている。

 

 

逆に本音を伝えたことで、縁が切れたお仕事もある。人事のお仕事。でも、それでいいのだ。

 

それはお互いのためなのよね。仕事も恋愛も一緒。本音を伝えて離れていく縁は、離れていくべき縁なのだ。

 

 

 

・胸に抱える複雑さや葛藤が、表現となる

 

人は生きれば生きるほどに傷を抱える。

むしろ生きるということは傷つくことだとも言える。

 

でも、

無傷でお空に還ることをきっと魂は望んでいない。

 

でも、傷つけば傷つくほどに

素直になれなくなる

正直になれなくなる

 

もう、傷つきたくないって

もう、同じ思いしたくないって

本能的にそう身を守るのが人間の脳だから。

 

 

けれど魂は

素直になりたがっている

正直でいたがっている

その怖さに飛び込みたいと思っている

そうして受けた傷も生きた証として持ち帰りたがっている

 

 

そして思ったの。

ああ、きっと

こうやって生きれば生きるほどに

たくさんの傷や葛藤を抱えながら

ひとは生きていて、

その傷や葛藤が、複雑さが

表現や、美しさに

姿を変えるのだなあって。

 

そんなことをふと、毎日の日課である

3年日記に書いたのでした。

 

 

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またふと文字を綴りたくなったらここに帰ってこよう。

 

誰がこの文章を見てくれているのか

まゆにはわからないけれど

まゆの言葉があなたにとって少しの光になれたならうれしいです

 

 

noteのマガジンにまとめてきた

まゆ自叙伝も、ついにあとひとつで終わります。

 

5万字くらいあるから

ちょい削いでまとまりよく推敲したものを

ひとまずKindleにする予定です。

 

よく聞かれる。

『まゆはどんな人生を歩んできたの?』って。

 

ほんっとーーーにどこにいっても聞かれる。笑

 

だから、それを知りたかったらこれ読んで!って言えるものが欲しかったんだよね。

 

だから、まとめるよ!

 

 

今日はつらつらと思うことを書いたけど

また気が向いたら最近の仕事と恋愛と人生とを書こうかしらね🦋

 

ここはいつまで経っても

自分が打ち明けられる場所

素直に言葉を綴れる場所で在り続けよう

 

 

まゆはいまいろいろ仕事しまくってて

現実世界は忙しなく生きているけれど

生き方の部分は相も変わらずまゆらしく

東京の地で、生きています。

 

 

ではまたねん🌚

 

 

あ、今日蠍座新月

不要なご縁や

不要なものとさよならして

新しいスペースに新たなものを運び入れるとき。

変容、刷新がキーワードだよ🌚

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

半年間の想いの終わり。

 

 

このあいだ

この半年間好きでいた人とお別れした。

両思いではあった。

想いあってはいた。

 

でも相手のいろんな事情から

「付き合う」という形をとれなくて

それでもその事情を理解できるまゆもいたから

好きでい続けたし

一緒にいろんなところおでかけしたりもした。

 

でも、

完全に神津島がターニングポイントとなった。

 

 

これでいいと思いきれていない小さな自分を

突きつけられて

全ての感情が溢れ出て

全てが浄化されリセットされた。

 

 

ほんとは、100%のまゆが

この状況に納得してるわけではなくて

 

ほんとは、妥協してるし

ほんとは、すごく悲しいし

ほんとは、この状態は嫌だって思ってたし

ほんとは、相手の主張に譲歩しすぎてたし

ほんとは、もっと自分を大切にしたかったし

ほんとは、もっと自分を愛したかった

 

 

確かにまゆは、その人のことが好きだった。

でも、

当たり前のように

まゆと生きていきたいと思い

まゆと付き合いたいと思い

まゆとの関係にコミットメントしたいと思い

まゆとの関係に意志や意図を持って欲しかった。

 

 

だから、

もう白黒はっきりさせようと

次会うまでに関係性のことを考えておいてほしいと伝え、

1ヶ月ぶりくらいにちゃんと2人で会った。

それは相手の27歳のお誕生日の日だった。

 

相手の答えは

「やっぱりいまはこれから自分の人生どうしようってタイミングだから付き合うことはできない、だから友達に戻ってほしい」という答えだった。

 

来年には絶対仕事辞めようとは思ってるけど

まだ今年中は辞めれないとおもう、と話し

 

「でもまゆもう、待てないでしょ?」って聞かれて、今の状況を許し続けることが自分を愛さないことだと気が付いてしまったまゆは、「うん。」って答えるしかなかった。

 

彼は

決めきれない男がまゆの目の前にいるよりも、ちゃんと友達に戻ったほうがいいと思うって言ってたけど、

まゆはあなたがよかったんだよ、

あなたに決めて欲しかったんだよって

そう思ったけど、もう仕方なかった。

 

 

まゆが好きなのも

まゆが肌を合わせたいと思うのも

まゆが一緒にいたいと思うのも

まゆが一緒に生きていきたいと思うのも

まゆが身体を重ねたいと思うのも

ぜんぶ、あなたたった1人だったのに。

 

今日からはもうその全てができない。

 

好き同士なのになんで?

そんな疑問がやまなかった。

 

 

好きでも付き合えなかったり

好きでもお別れしなきゃだったり

そんなのほんとにあるんだって思った。

 

 

 

彼は今の会社を辞めようと思ってて

でも辞めてなにしたいかが分からなくて

転職するかフリーランスなるか旅に出るか

の3択で迷ってて。

 

彼は最後に付き合ったのは学生時代で

遠距離で別れてて、社会人になってからは

付き合ったことがないひとだった。

 

だからいままゆと付き合うと

退職後に旅に出るって選択肢を取りにくくなる

付き合ったら一緒にいたくなるし

日本に彼女おいて旅に出てるんだっていう

ジャッジメントが自分から自分に向く人だから

 

 

だから現時点で自分の選択肢を狭めることはしたくなくて

別れたらもう関われなくなるタイプだけど

まゆとは末永く人として関わり続けてたいからこそ

別れる可能性が高い今、付き合うことはしたくないと、出会った時からそう主張してて。

 

 

だけどそこで、じゃあもうここでさよならって彼と関係を切る強さがそのときのまゆにはなかった。

 

「一旦自分の人生ちゃんと考えるね」と言ったその言葉は数ヶ月で回収されるかと思ってたけど一向に彼からは答えが出なかった。

人生が展開・変化して進んでいくスピード・タイミングというのは人それぞれ違うことを学んだ。

 

 

 

彼はいつも「答えが出ない」という言い方をしてたけどある意味では、

「付き合えない」という答えが出ていたのだ。

 

 

それを半年が経ったいま、

ようやく真正面に受け入れることができた。

 

 

向き合いながら抱き合って寝ころがる時に

ちらちらとまゆの口元を確認する彼が好きだった。

 

至近距離で目しか見えないから

まゆの口元をみて

まゆが笑っているかどうかを確認してくるのだ。

 

 

まゆが彼のする何かにありがとうを伝えると

必ず彼からもありがとうが返ってきて

ありがとうのぐるぐるが止まなくて

言葉でも行動でも

真っ直ぐでストレートな愛情表現が好きだった。

 

 

わたしたちの状況を話すと

いろんなことを言う人がいた。

 

他に女がいるだとか

遊ばれてるだけだとか

2番目、3番目だとか

 

 

けど、

まゆの目に映る彼は

限りなく誠実で優しくてけなげだった。

 

 

 

まゆは、

その自分が感じた実感を信じることにした。

 

 

表面上はどうだっていい。

誰が何を言ったっていい。

事実はどうだっていい。

 

 

まゆはただ、

彼がまゆに向けてくれたあのまなざしを

彼がまゆに渡してくれたたくさんのものたちを

こころに大切にしまって、次に進むことにした。

 

 

 

いつかの未来、『あなたの27歳のお誕生日の日に、わたしたち悲しいお別れしたよね』

って、そうふたりで笑い合いたくて、

 

それに彼も強く同意してきて。

そこの一致がとれたことが嬉しかった。

 

 

 

未来はわからない。

この縁がどんなふうになっていくのか

分からないけれど

まゆのすることはただひとつ

自分に正直に生き続けること

ただそれだけなのだとおもう。

 

 

 

 

この半年間

相手の立場に自分が寄りすぎちゃって

言いたいこと言えなかったり

聞きたいこと聞けなかったりしてきたもの全て

最後に会った時に

ぜーんぶ言って

ぜーんぶ聞いた。

 

 

彼と出会ってからまゆは何を感じ、どういうところが好きだったのか全部話せたし

ほんとはこれが悲しかった、嫌だった、辛かったも全部全部、最後に伝えられた。

 

 

彼はその全部をちゃんと受け取ってくれた。

 

 

あとまゆはその場で瞬時に悲しみを我慢するタイプなんだけど、今回はちゃんとその場でたくさん泣けた。

彼はまゆが泣く度にただただ、抱きしめ続けてくれた。泣かないでってまゆの口元をくいってあげてきて無理やり笑顔を作ってこようとしたりしてた。

 

 

会う前、自分の中で結論が出てたから

友達に戻るしかないって思ってたから

正直、今回会うかも迷ってた、と

悲しいなって思っちゃって最近まゆに全然LINE返せてなくてごめんね、って彼は謝ってきた。

 

 

 

まゆは最後に

顔を見てちゃんと腹割って話せたこと

切なくて悲しいけど

すごく良かったなって思ってる。

 

 

最後、会ってくれてほんとうにありがとうって思ってる。

 

 

友達に戻るってなり

また遊びにいこう、と彼は言ってくれたけど

まゆはまだ複雑さや切なさがある。

 

だから数ヶ月は会わないことにしようと思ってる。

また涼しくなった頃に、とLINEを送った。

 

 

 

そしていまは、

まゆが願っていた

 

まゆと付き合いたいと思い

まゆと生きていきたいと思ってくれる人

が、突然現れた。

 

 

彼とのお別れの数日後に。

それは思いもよらない人だった。

し、タイミングはんぱねえな、と思った。

 

 

ほんと途絶えない。

まゆのことを好きになる人

まゆと恋愛関係になる人が

次々と現れてくる。

 

 

去年の春、4年の大恋愛が終わり

しばらく誰とも付き合わないぞと決めたその1ヶ月後に新しい人と付き合った。

その付き合った彼と一緒に暮らし、お別れしたその1ヶ月後に今の彼と出会った。

 

 

それは、

まゆが恋愛から学ぶべきことがたくさんあるからなんだろうと思う。

 

 

まゆにとっての魂の成長は

恋愛がキーになっているのだと思う。

 

 

たった1人好きなひと

たった1人パートナーにだけ

まゆは自分の意見をはっきりと言えなくなる

相手の感情や相手の意見に

まゆが寄りすぎてしまう。

 

でももうそれを卒業する。

 

 

 

 

もう、守りに入らない。

もう、現状維持をしない。

もう、本音を押し殺さない。

もう、感情を押し殺さない。

もう、妥協をしない。

 

 

まゆと出会い

まゆを好きになってくれた男の人たちへ

 

たくさんまゆを愛してくれてありがとう

まゆにたくさんの学びをありがとう

 

みんな、本気でだいすきでした。

ずっと人としてらぶゆー。

 

 

 

まゆはどこまでもまゆを生きてゆく。

 

 

まゆにとっての大切な記憶を

まゆにとっての大切な生きた証を

ありがとう。

 

 

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浄化の神津島。

 

 

おとといから神津島にきている。

2週間ほどここで暮らしながら、

お友達がやっているゲストハウスをお手伝いする。

 

 

なんだろう。

やっぱり、日々を繰り返している【日常】から離れてはじめて、【触れられる領域】【感じられる感情】があることを、身をもって体験している。

 

 

自分で群馬と岐阜で

「リトリートハウス」という宿をやってたわけだけど、東京で生き、働く種族の人間に自分がなった今、まゆがやってた宿ってめちゃくちゃ必要で大切で、今の日本人を救うものじゃんって思った。

 

 

面白いなあ。

東京で働くという予想だにしていなかった人生の展開になっているおかげで

自分が過去にやってきた活動の価値や意義を身をもって実感できているのだ。

 

 

東京で生きてきたこの数ヶ月

決して気が付かなかった悲しみに

気がつくことができた。

 

東京で生きてきたこの数ヶ月

決して流せなかった涙を

たくさん流すことができた。

 

 

ああ、こんなに辛かったんだねって

悲しかったんだね、って

泣きたかったけど泣けなかったんだねって。

 

 

26歳最後の日に

より自分と手を繋ぐことができてよかった。

 

 

日々を生きることがまず優先事項

日々の仕事をこなすことがまず優先事項

 

そうなると、

なかなか自分のほんとうの感情は

置いてけぼりにされやすい。

 

そこらへんを人にセッション提供してきたまゆですら、だ。

 

それだけ満員電車はいろんな感覚を麻痺させる時間だし、日々忙しく働き続けることは自分の心から遠くなるのだ。

 

 

だから、定期的にこうやってすべてから解放されて、すべての仕事から距離を置く時間がわたしには必要だし、それを確保し続けたいと思う。それを確保することができない職場とはさよならをしてゆくつもりだ。

 

 

仕事よりも

お金よりも

わたしは、

わたしの心が

いちばん大事だから

なによりも守りたいものだから

 

 

浄化の涙は恋愛のことだね。

 

まゆは結局いつもいろいろあんねん。

いろんなまゆが顔を出す。

しょっちゅう真逆な感覚や思考になるからどちらの自分を軸にしたらいいのかわからない。

 

 

でもその度に問いかける。

『真実よ、わたしはどうしたい?』って。

 

でもその選択すらも10秒ごとに変化してゆくのだから困ったもんだ。

 

 

まぁトータルで断言できることは

いまのこの現実がまゆにとっての最善だってこと。

 

その現実であることで

ちょうどいいことや

都合のいいことや

起きる学びや気付きがある、ということ。

 

 

でも、一方でその現実を変えてゆくことだってできる。

 

 

まゆは、何も進んでいないのはやっぱりいやだ。

 

 

悲しくても

辛くても

思うように進まないものと

さよならする勇気が必要なんだと思う。

 

 

未来はわからない。常にわからない。

 

でも、今を生きるしかないのだ。

今の自分で、今を決めるしかないのだ。

 

 

未来の自分が、過去の自分を誇れる今を生きよう。

 

 

 

たくさんありがとう。

確かに好きだったよ。

確かに想いを受け取ってきたよ。

それなのに、それだけど、ごめんね。

 

一部のまゆをずっと置いてってたんだ。

もう、どの自分も置いていきたくないんだ。

 

 

あなたのために、自分は殺せませんでした。

だから、さようなら。

悲しいね。ごめんね。赦してね。あなたの幸せを祈っています。

 

あなたと出会えて

あなたと過ごせて

あなたと思い出をつくれて

わたしは確かにしあわせでした。

 

あなたからたくさんの愛を受け取りました。

ほんとうに、ほんとうに、ありがとう。

 

 

Mi amas vin.

 

 

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属性を超える人間性

 

まゆが普段生きてる世界では

南半球を一周しただとか

ヒッチハイクしただとか

バックパッカーで旅するだとか

いるっちゃいるけど

少数派。

 

 

(あ、ピースボートの職場ではざらだけど。)

 

 

でも旅人界隈にいると

世界一周も

日本一周も

ヒッチハイク

家がない流浪の民

ごろごろいる。

 

 

家がなくても生きていける

ふらっと日本中、世界中飛び回るフッ軽

そういう踏ん切りの良さ、勢いが

この界隈の人間はすごい。

酒も強いしクレイジーなやつが多い。

 

 

もちろんみな

ひとりひとり

全く違ったパーソナリティを持ってる。

 

 

でも、

「旅」「世界一周」「バックパッカー

という言葉が

コンテンツ化されてるというか

その言葉たちに

そこにいる人間たちが食われてるような感覚になるときがある。

 

 

伝わるかなあ。

 

 

旅人同士なんて

そりゃあ価値観は合う。

フィーリングも合う。

感性も合う。

 

 

そのもっと深いところ。

 

 

【旅人】【バックパッカー】という

着ぐるみを脱いだ時に

ただそこに残る、《そのひと》

 

 

そこにこそ、わたしの興味はある。

 

 

よくある属性をまとうことで

ぱっと見のわかりやすさは生まれるけど

ただそこにいる《そのひと》からは

遠くなっちゃうというか、

一枚、間に皮が生まれる。

 

 

ま、まゆも、自分を説明するときに

セラピストって言葉を使うけど、

人それぞれ「セラピスト」って言葉からイメージするものって様々だからね。それが本来のまゆを遠ざけてしまっているときだってあると思ってる。

 

 

 

まゆは、

どんな肩書きも

どんなフィルターも

そこにとどまることなく

その先を

その奥を

観れるひとでありたいな。

 

 

他者に対してそう思ってるからこそ

まゆは

「感性が合う」って言われても

そりゃあな!

としか思わなくて

あんまりうれしくないというか

そこまでまゆを深く観れてはいないんだなって思ってしまう。

 

 

人との出会いには

属性は便利だ。

 

 

属性ごとの

コミュニティがあるおかげで

感性の合う人と出会いやすいし

やっぱり

属性が似てる人や

感性の合う人といるほうが

たのしくて心地いい。

 

 

 

その先だよね。

そこを入り口に

どれだけ

いち人間としての交流や関わり、対話ができるか

 

まゆはそこにしか興味がないんだなあ。

 

 

だから

いろんな肩書きを並べられても

いろんな経歴を並べられても

いろんな過去の栄光を語られても

で?

ってなる。

 

そのひとの

ほんとの姿

 

そのひとの

全てをとっぱらった姿

 

そのひとの

ただあるがまんまの姿

 

それにしか興味がない。

 

 

 

というお話でした。

 

 

 

あいも変わらず最近日々いろんなことが目まぐるしいので、またゆっくりここにブログを書こうかな。ゆるゆると。またね。

 

 

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昨日5年ぶりに行ったこの↑

Smile Earthっていう高円寺にあるカフェandバーにて、2020/7/2(土)に

 

まゆ7/6生まれと

もう1人の男の子7/5生まれのふたりの

合同生誕祭をやることになったから

ぜひ来てくれよな!!!!!!

 

 

んじゃまたね!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

自分のエゴや感情を超えて、相手を大切にできる喜びを知れた恋愛

 

 

最近いろいろあって

いつ死んでもいいって思えるくらい

やっぱりちゃんと

くだらなくてもいいから

小さなことでもいいから

いまのまゆが感じてることを

何かに残しておこうという心理が生まれて

また今日だけちょっとはてなを書いてみる。

 

 

今日は恋愛の話。

 

 

わたしは前回の恋愛で

自分の中の不安から

「付き合う」という選択をして

失敗したという認識があって

もれなくまた人を変えて

わたしは再び同じ入り口に立った。

 

 

ただ、

誰のものでもなく

「わたし」と「あなた」がこの世界にいる

「わたし」と「あなた」が目の前にいる

「わたし」と「あなた」が生命を交流させている

「わたし」と「あなた」が愛と感謝を循環させている

 

 

ただそれだけがうれしいのに

ただそれだけがしあわせなのに

 

 

「好き」という日本語をトリガーに

じゃあ「付き合う」?という話になる。

 

そこは非常に難しいところでさ

それが至極真っ当なこともあるのよ

 

ただただ、

お互いにだいすき!で溢れてて

ずっと一緒に生きてゆきたい!で

思考も挟まずに「付き合う」を選ぶ時だってある。

 

 

でも

真っ当じゃない時も、ときにはある。 

それが

不安から付き合うこと

独占欲から付き合うこと

 

 

付き合っておかないと

相手がどっかで誰か素敵な人と出会ったときに

 

そっちに行っちゃうかもしれない

もっといい人が現れたら自分は選ばれないかもしれない

 

そういう不安、自信のなさから、

 

『この人は確かにまゆが好きなんだ』という安心感

『この人はまゆと生きることを選ぶ覚悟をしてくれてる』という安心感

 

 

【付き合う】に求めようとする

 

 

そして

その付き合う覚悟が持てないのであれば

それは「その程度の好き」なんだ、と

相手の想いを振り払って、捨ててきた。

 

 

好きとかいうけど

あれこれしてくれるけど

でも結局付き合えないんでしょ?

結局その程度なんでしょ?って。

 

 

でも、とある人に言われたの。

『相手が覚悟できるかどうかと、相手からのまゆへの気持ちは、関係ないんだよ』

って。

『覚悟を持てるっていうのは

自分の人生への能力やキャパ、経済力への自信。それと相手への気持ちは関係ない』

って言われて頭にヒビが入った。

 

 

え、

覚悟できる=本気で好き

覚悟できない=その程度の好き

じゃなかったのーー!!!!??

ってなって。笑

 

 

むしろ自信満々男なら

簡単に付き合うけどだからといって

深く本気で好きなわけではなく

 

自信ない男や慎重な男は

覚悟決めて付き合えはしないけど

ほんとにちゃんと真にまゆを好き

なんならまゆのことほんとに好きで

大切であればあるほどに慎重になる

ってことが往々にしてあり得る!のか!と大発見だった。

 

 

てか書いててだんだんとさ、

そこまで相手が自分をどう想ってるかとか

どれくらい好きなのかに、固執してる自分つまんねーって思ってくる。

 

 

 

とはいえやっぱ女はさ

命懸けで命を産み育てる生き物だからさ

 

で、おまえはわたしとの間に子ができたときに、一緒にやっていってくれんの?突然消えたりしない?支えてくれるの?

ってそこの意志や覚悟の確認って

どうしても本能的にするものなのだとおもう。

 

 

でもいま、まゆは、

子どもを産みたいとも

家庭を持ちたいとも思ってない。

 

でも一時的な刹那的な薄っぺらい関わりも求めてない。

 

ちゃんと

想いや愛や思い出や信頼関係を

共に積み重ねてゆける人

が欲しいのだ。

 

 

それには、コミットメントが必要って思ってた。付き合うっていう形が必要って思ってた。

 

 

でも、必ずしもそうではないのかもしれない、と今は思っている。

 

 

相手には負える責任のキャパがあるし

相手にはベストな人生のタイミングがあるし

 

 

彼はいま、

勤めている会社を先々辞めようとしてて

その後

フリーランスになるか

事業を立ち上げるか

まとまった期間海外に行くか

迷っていて、

 

でも彼の中で

 

“付き合ってるのにまゆを1人残して海外には行きたくない“

“付き合うのなら近くにいたい“

“付き合うのなら毎週会う時間をつくれる自分でいたい“

などといった望む自分のライフスタイルや自分像がある。

 

だから

自分の人生がまだ望む形に定まってない今、

今後まとまった期間、海外に行くかもしれない可能性がある今、

付き合うという選択肢を取れないこと、

付き合うことがタイミング的に自分の人生の選択肢を狭めることになり得ることをわかってて、それを避けたがっていた。

 

別れる可能性が高いうちは付き合いたくない

なぜなら、物理的な距離が理由で別れた経験があって同じことを繰り返したくないから。

一度付き合ったひとと別れてしまったらもう関われなくなるタイプだけど、まゆとは末永く関わっていたいから。

 

 

そんな感じに彼を捉えていて。

 

 

 

今は思える。

なんて真面目なんだろう

なんて慎重なんだろう

なんて先のことを考えられるひとなのだろう

って。

 

 

でもちょっと前のまゆは

 

ただ、どんな自分でいようと

どんな自分の人生であろうと

まゆと生きる覚悟が持てないだけ

そこまでの想いには至ってないということ

彼にとってまゆの存在はその程度だということ

 

みたいに思って、切り捨てようとしてた。

 

 

そして実際に、

付き合えないのならもう当面は会わないことにしようという話にもなりかけた。

 

 

でも宇宙がすごいシンクロをまゆにたくさん与えてくれて、そのたびに

いやいや、あなたはそれじゃなくて、こっちの道だよ〜この人でしょ〜付き合うとかどうとかない純粋な気持ちを生きたいんでしょ〜って

教えてくれた。

 

ほんとにわかりやすく。。笑

 

シンクロってほんとすごい。

メッセージがわかりやすくて。

 

まゆはすぐに捨てたがるし

白黒はっきりさせたがるし

はっきりしていないものを不快に感じるタイプで

白でも黒でもないグレーは許せないタイプだった。

 

でも、グレーを切り捨てようとするたびに

宇宙からのシンクロがあってね。

降参したんだ。

 

 

これまでずっと【自分が感じること】のみを指針にして恋愛してきた。

 

でもいまは、【自分が感じてること】を超えてくる宇宙からのサインを指針にしてるというか、そうせざるを得ないくらいに宇宙に手を引っ張られてる感覚。

 

とっても支えられている。

こんなに宇宙に支えられていると感じる恋愛は初めてかもしれない。

 

 

思考はいろいろ言う。

傷はいろいろ感じる。

 

 

でも、

宇宙からのサインが示すままに

宇宙からのサインに動く自分の胸を指針に

従おうって。

 

 

思考やら傷やらの

もっと真ん中に在る

自分の気持ちに素直になろうって。

 

 

そしてそれを指針にしたときには

これまでが一体なんだったんだろう?

ってくらいにすべてのことが

とんとんといく。進む。笑っちゃうくらいに。

 

 

そんな山梨だった。

 

 

 

大切なことをたくさん交わし合えた。

表面上はまだ、付き合うってカタチをとってなくても、これ以上に大切なことなんて、他に何かある?って思うような時間だった。

 

 

彼は、今の彼ができる精一杯で

まゆを大切にしてくれて

まゆを愛してくれている。

 

 

そしてなにより、

まゆは、まゆ自身が

26年間生きてきたなかで

いまがいちばん

相手を想える恋愛ができていることが

うれしいのだ。

 

 

好きが故に

相手を苦しめた

好きが故に

相手を傷つけた

 

まゆの好きは

[相手への好き]なんかじゃなかった

 

好きっていう感情をトリガーに

自分の内から溢れ出たエゴだ。

 

 

それを1番好きな相手に

ほんとは

1番笑顔で幸せでいてほしい相手に

1番傷つけたくない相手に

ぶつけてきた。

 

 

そんな自分が

痛くて

かなしくて

悔しくて

やるせなくて

苦しかった。

 

そんなことしたくないのに

そうせざるを得ない

そうしてしまう自分に

何度も絶望してきた。

 

 

そんな数々の絶望や痛みを経たいま

自分のエゴや感情に振り回されずに

それは感じるし味わうけれど

それの先で、

自分の本当の素直な想いや

自分の本当の願いに気がつけて

それを生きれるようになってきた

 

 

そう生きれるからこそ初めて

根底に在る、相手を大切に思う気持ちのままに大切にできること

相手に、大切に思ってることがちゃんと伝わること

まゆが大切に思ってる気持ちをちゃんと受け取ってもらえること

こんなにうれしいんだ、って初めて知った。

 

 

 

自分のエゴや感情を超えて、

まゆが人生で初めて、

相手を大切にできる喜びを知れる恋愛になっている

 

 

 

まゆはいつも恋愛で大成長する。

「だれかひとり、好きな人」が

まゆにたくさんの気づきと成長と変化をもたらしてくれる。

 

 

 

きっと、わたしたちは

いまのわたしたちにとってベストなペースで

確かに大切なものを積み重ねているんだね。

 

 

ありがとう。

出会ってくれて。

好きになってくれて。

好きにならせてくれて。

 

 

あなたを大切におもいます。

まゆを大切に想ってくれて

まゆを愛してくれて

ほんとうにありがとう。

 

 

だいすきだよ。

 

ありがとう。

 

 

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愛あるところにしか痛みは生まれない。

2時間半睡眠なのによく起きれた。

最近魔女みたいに夜眠れない。

3時とか4時とかになる。満月前だからかな。

でもどんなに寝不足でも顔にできものとかできなくなった。きっとハーブティーのおかげだと思われる。すごい。

 

キャリーに荷物を詰めて東京から山梨の山へと向かっている。

 

もともとInstagramでみてた23歳の農業やりながらコミュニティを作ってるすてきな男の子が、山菜を摘んでみんなで料理して焚き火をしてテントで寝るイベントを開催すると聞いて即決で参加を決めた。

 

もともと同じ日程で壱岐島にいこうとしてたの。

 

でもそのイベントみつけたときに

明らかにこっちの方が胸がわくわくした。

 

まだ成田から長崎の飛行機取る前でよかった、、!ってなったのだ。

 

壱岐島はまた気が向いた時に考えよう。

 

お先に神津島に行きそうだ。

7月の頭に2週間ちょっと行ってこようかな。

お誕生日の前夜に綺麗な星空を見たいから、お誕生日は神津島で過ごそうかなと思っている。

 

 

 

昨日Tポイントカードを捨てた。

 

コンタクトを買う時に

「すべてのポイントを利用」を選択して

用無しのカードにして、捨てた。

 

なるべく財布の中にカードを入れたくなくて。すっきりさせたくて。

 

レシートや領収書もすぐに専用のポーチに移すし、財布の中がごちゃごちゃしてるのが嫌なのだ。

 

 

わたしはほんとに捨てたがりでさ

毎日断捨離してて

「いらないものはないか」

「捨てられるものはないか」

「使ってないものはないか」

っていう視点で

毎日生活をしたり

自分の部屋を眺めてたりするんだけど

それはマヤ暦の[白い世界の橋渡し]の

大事な大事なテーマなのだとこの間知ることができた。

 

どれだけ削いでいけるか

物も気持ちも何もかも常に断捨離がテーマ

な人らしい、わたし。

 

あとは

死を意識することで今を大事にできる人

死という出来事を前に大きな成長や気付きを得れる人

らしくて、

だからわたし常に

いつ地震が来て、いつ死ぬかわからないってマインドで日々を生きてんだなって思ったし

だからわたしおばあちゃんっ子だったんだって、おばあちゃんちで暮らしてたから、一緒に生活をしてたひいおばあちゃん、おじいちゃん、おばあちゃん、みんな死んだ。

まゆにとっての「家族」だった人間がみんな死んだ。

そうやって、よりわたしの中では

鮮明に、色濃く、【人は死ぬ】ということが刻み込まれた。

 

 

あとはいまは、わたしの時期的には

しあわせを味わう時らしくて

自分の理想が自分を助けてくれるんだって。

 

 

あー、だからいまわたし、

いますんごく自分の理想にこだわってるんだな、妥協を許さない自分になってるんだなあって、それを聞いてめちゃ納得した。前回のブログとかまじでえげつない。笑

 

でもそれでいいんだって思えたし

やっぱりわたしはいつだって

自分にとって必要なことを

知らず知らずにちゃんとしているなと思った。

 

 

自分にとってのしあわせを追い求める。

自分の望むしあわせが感じられないのなら断捨離をする。

 

そういうフェーズにわたしはいまいる。

 

ほんで31歳くらいから

もう半端ない激動な社会進出が始まるんだってよ、、

 

それまで下積み!

いろんな経験をして

いろんな気付きを得て

いろんな成長をして

自分で自分を認められる揺らがない土台を、根っこを、どんどんつくってゆこう。

 

 

マヤ暦、知ってはいたけど、

より深く学ぶといろいろおもしろかった。

90分ほどで28,000円のマヤ暦セッションしてるパワフルな女性にわたしはお願いしたんだけど、興味ある人、受けたい人、連絡してねー繋げます。

 

 

 

 

 

まゆはすごく愛されてる。

 

まゆはすごく愛されてた。

 

そのことに気付くたびに

その愛を感じるたびに

泣いちゃう。

 

 

こころの感度のよさは

自分で誇りに思っている。

 

その分勝手に傷ついて落ち込んで

一人で泣く時間もあるけれど

喜びで一人泣いてる時間も同じくらいにあるのだ。

さっきも、とある人からの愛をすごく受け取って、電車にのりながら涙ぽろりした。

 

そのこころの感度のよさがわたしに

『生きてる実感』を味わせてくれてる。

 

 

自分の人生が好きでたまらない

自分の人生がたのしくてたまらない

 

でも

まゆの人生はこんなもんじゃないってのも知ってる。

 

 

もっともっとすごいことが起きてゆくし

もっともっと楽しくてたまらなくなるし

もっともっと喜びも幸せも何百倍にも

大きく拡がってゆく人生が待ってるって、

その根拠のない予感だけははっきりとわかっている。

 

 

あとはやっぱりまゆは、

誰かとの間の唯一無二の愛を体験したい。

 

お互いがお互いを

唯一無二の存在として

求め合うのって

この地球において

ほんとにすてきなことだなって思う。

 

 

まゆの望んでるもののイメージはこれ。

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伝わるくない?

お互いが

唯一無二の存在として

求め合ってるって言葉の意味。

 

純粋な愛を感じる。

 

これみてると泣いちゃうの🥺

尊いな〜美しいな〜ってね。

 

まゆはこれを体験できるパートナーを

宇宙にオーダーしてます♡

 

 

オーダーが届くまでに時間差あるから

まゆはまゆのことに集中するのみ!

出会ったとしても自分に集中がまず何より大事であることは変わらないけどね

 

 

あ、そうそう、断捨離だいすきだからね

わたしは、しょっちゅうケータイのカメラロールの写真たちも整理するの。

 

 

それで去年の11月にお別れした彼との写真とか一緒に曲を作ってる時の動画とかが出てきてさ、

めっちゃこの人まゆのこと好きじゃんって

めっちゃこの人まゆのこと大事にしてくれてたじゃんって

めっちゃこの人まゆのこと愛してたじゃんって

 

写真に映る彼の表情や瞳から思ってさ。

 

なぜにこんなものを目の前に

わたしは終始不安がっていたのだろうと

失う恐れに囚われ続けてしまっていたのだろうと

彼が差し出してくれてるものをザルのように手からこぼれ落としてしまっていたのだろうって

 

そう思った。

 

もちろん、そのときは

そうなるしかなかったし

そうなることが必要だったし

それを経ていま自分の中にある体験が

かけがえのないものであることはわかっている。

 

 

でもやっぱり彼に対してだけは

おおきなごめんねが

わたしの胸から消えないのだ。

 

そんなわたしのなかの

おおきなごめんねと

おおきなありがとうは

瞑想あとのお祈りの時間か

おてんとさまに向かってしか、

表現できない。

 

 

散々一緒にいる間に

ころころといろいろなわたしの中に生まれるそのままを彼に言葉にして伝えてきたからもう彼はうんざりしてると思うから、直接は伝えない。

 

でもエネルギーはどんなに距離があったって伝わり合うから、わたしはわたしの場所から、

 

ごめんねと

ありがとうと

しあわせでいてね

 

と伝えるのみだ。

 

 

知りたくなかった、失うのなら。と

そう思ってしまうこともよくあるけれど、

それでもやはり、

そういった喪失の痛みは

生きてることそのものであるし

痛みがあるということはそこに愛があるってことなんだって、

いまは断言できる。

 

愛あるところにしか痛みは生まれない

 

 

だから、

ほんとうは、痛みを避けなくてもいいのかもしれないね。

わたしは痛みから避けたくて

傷つく可能性を避けたくて

白黒はっきりさせようとするところがあるから。

 

 

すべての痛みを愛に昇華させて

生きてゆけるようになりたいな。

 

 

 

ではまたねん!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

いまの恋愛観。

 

わたしにとって

コミットメントのない関係は

ないも同然なんだとわかった。

 

男女や恋愛の話ね。

 

名前のない関係とか

そういうのもういい。

もうこの人生では二度といらない。

 

ときめきも過ぎ去る

恋も過ぎ去る

 

でも

付き合うことを選び

コミットメントのある関係は

積み重ねられてゆく

決して過ぎ去ったりしない

 

 

確実に

ふたりの人間が地球で出会い、向き合い

いろんなものをぶつけあって

いろんなものを交わしあって

そういう体験や記憶や感情が

積み重ねられてゆく。

 

わたしはそれを

なによりも素敵なものだって思う。

 

 

そうして人生の時を共にした存在ってのは

この先の人生ずっと愛するひとになる。

わたしが生きている間、会えなくてもいいから関わらなくてもいいから、同じ地球に生きててほしいなあって、幸せでいてほしいなあって、そう祈る存在になる。

 

 

例えどんな思い出ができて

例えどんな別れになったとしても。

 

わたしはそれって

とてつもなく尊いことだと思ってる。

 

 

生きててほしいと

幸せでいてほしいと

そう願い、愛する存在が

わたしの世界に増えてゆく

それがわたしにとっての恋愛。

 

 

 

 

最近モテ期なのか、みんなまゆのこと好きになる。

人間としての尊敬

女性としての魅力

それらが合わさった「好き」

 

内訳は

なぜか惹きつけられる、行動力がある、自分の考えがしっかりある、尊敬できる、人を幸せにする笑顔、天真爛漫さ、無邪気さ、弱さやコンプレックスを打ち明けれる安心感を感じる、懐に入ってくる感覚、気を使わなくて無言が気にならない居心地の良さ、運の良さや人生の喜びが伝染する感じ、いつだってまゆは正直にいてくれるって思える信頼感、なにかをしてあげたくなる・与えたくなる、かわいい、まゆの前では素直になれる、せっくすしてみたいと思う、そばにいたいと思う、一緒にいると癒される

 

 

こんなところでしょうか。

好意を寄せられた男たちから

言われたことのある日本語たちは。

 

 

いろんな色合いの

いろんなレベルの「好き」がある中で

 

まゆともっと一緒にいたい

まゆを知りたい

まゆとせっくすしたい

 

そう思う男は多くても

 

まゆと付き合いたい

まゆとパートナーになりたい

 

と思える男は少ない。

 

なんかよく知らないけど

まゆの価値観についていく?ことは

大変なことらしい。

よくわかんないけど。

 

とりあえずまゆと付き合おうと思える男は

とてつもなく器がでかくて

愛に開いたすばらしい男なんだと思ってる。

 

 

まゆの元彼たちはみな勇者だ。

すばらしいです。栄誉を讃えます。(何様)

 

 

まゆを好きになる男は多くても

まゆと付き合いたいと思う男は少ないから

まゆもまゆで、

 

まゆと共に生きてゆきたいと

そう思える男以外は

まゆからしたらみな、

ただのまゆファンなのだ。

 

 

だからまゆの気が向く人以外は

タダでセラピスト的なことはしないし

タダで2人で出かけたりしないし

プライベートな自分の時間をその人のために割こうとは思わない。

 

 

わたしはセラピストの仕事をやっているのだから

わたしは天性のカウンセラーなのだから

まゆといるとなぜか癒されるのは当たり前なのだ

まゆの前ではなぜかなんでも話せて当たり前なのだ

まゆの前ではなぜか安心できて当たり前なのだ

 

そんな人と出会ったことがないからと

そんな自分になれたことがないからと

 

「俺とまゆが相性がいいからだ」

「俺にとってまゆは運命の人だ」

そんなふうに勘違いするのは辞めましょう。

 

それは、ふたりがどうこうではなく、

まゆがまゆだから、です。

 

 

わたしは、

まゆファンに対して、出すわたしと

ひとりの恋人に対して、出すわたしは

全然違います。

 

かけたい時間もエネルギーもお金も

全然違います。

 

まゆは実はこころの中で結構線引きをするタイプなのです。安心していいってまゆが思える人の前でしか、甘えれないし、委ねれないのです。

 

 

 

まゆと共に生きたいとは思えてないけど

まゆに惹かれている方たち、

まゆと個人的な関係になろうとするのを

諦めましょう。ファンでいてください。

 

 

わたしはファンひとりひとりに構ってられるほど暇ではありません。

さみしくもありません。

今はなにより自分が自分の真実と繋がる時間が大事です。もちろんせっくすもしないので諦めてください。

 

 

わたしは

まゆと共に生きてゆきたい、と覚悟できるひと

まゆがほんとに好きなひと、

たくさんのものを交わし合い、深い関係性を築き、せっくすをしたときに胸に響くものがあると思えるひと

としか、せっくすはしません。容易く女扱い的に触れてこないでください。

 

 

まゆとの間で

責任のない

一時的な交流を

望み求めてくるのはやめてください。

 

 

まゆもそういう一時的な交流を

推奨してた時代もあったけど、

それは会話やアクセスバーズレベルでよくて、身体は違う。まゆは変わりました。

 

 

まゆの魂のそばにいたいと思うひと

まゆに性的に惹かれてしまうひと

この世に多すぎワロタって感じです

 

 

だからここ最近はね

彼女のいる男の人と

いっしょに話したりご飯行ったりするときが

1番気が楽でたのしくて、

ほんとの「男友達」って感じでたのしい。

 

 

そういう目的で

そういう恋愛感情で

こっちに来ることないって

安心できるから。

 

 

わたしは絶対妥協はしない。

それは最高の未来を信じてるから。

手放したら、手放したものよりもっといいものと出会えるって知ってるから。

 

自分を大切にする

自分を愛する

 

だからどんどん篩にかけて

どんどん切っていく。

 

その潔さは、死ぬまで磨き続けていたい。

 

宇宙にはどこまでもオーダーしていいのだもの。

わたしたちは無限の存在なんだもの。

妥協してどうすんねん。

少しでも違うなって思ったら、手放す。

違和感に従う。

どこまでも自分の望みに忠実で在ること。

 

 

 

そんな感じで進んでいく予定です、今後のまゆの恋愛は。

 

 

わたし、変わったなぁ。

 

 

 

わたしは、

本に書けるほどの人生を送りたいのだ。

本に書けるというのは文字を綴るということ

わたしにとって

文字を綴るというのは感情が動くということ

感情が動くということは深い関わりがそこにあるということ。

 

 

中途半端はいらない。

 

 

まゆってほんとすてきな恋愛してきたな。

元彼たちだいすきだ。特に直近のふたり。

ずっと愛してる😘

 

 

なんて変なブログなんだろう。

 

でもこれがまゆだ。

 

読んでくれる人、ありがとう。

またたまに気が向いたらはてなブログ書くね。

 

 

自叙伝noteついにおわせるよ!

今日も書いた!

 

(15) 何者でもない「わたし」を生きる怖さと覚悟|茉 優 mayu|note

 

このnoteマガジン分は第一章だけどね!

ちゃんと本にするぞ!

 

 

 

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このふたつの木たちみたいな関係がいいな