mayu’s diary

感じたままを、ありのままに、正直に。

無料相談窓口 の限界

ああ、もう無理だ。

 

どんどん吸い取られてる。

 

自分がエネルギーをかけていること

それが受け取られず、返ってこず、

循環しない。

 

 

これじゃあエネルギーの浪費だ。

 

 

しっかり、受けとる

そのために、「お金」ってのは

本当にいい道具。手段なんだ。

 

 

 

ただで

無料で

友達だから

 

ってやってるから、こうなる。

 

 

 

もう、

これまで通りは生きていけない。

 

 

 

 

『受けとる覚悟』のためにも

お金をもらおう。

 

 

 

本当に

同じ世界で

交わし合える

与えて

受け取って

循環できる

 

それは心地がいい。

そこにはお金を介する必要はない。 

 

 

 

でも、そうじゃない対象と関わるときには、

 

何をどうしたら

【自分が心地よく在れるか】

 

そこに尽きる。

 

 

 

 

いまはあらゆるノイズから、雑念から

距離を置き、『独り』になりたい。

 

リトリートハウスを!と言ってるけれど

誰よりも必要なのはわたしで、

 

どこにいて

誰といたって

静かに、

自分の中と繋がってる時間、感覚を

だいじに、だいじにしたいんだ。

 

 

 

 

 

というわけで、

茉優に会ってほしい

茉優と繋げたい

茉優に話を聞いてほしい

茉優と会いたがってる子がいる

 

そんなこんなで、

めぐり巡って

わたしのもとへ来る人たちからは

お金をもらいます。

 

わたしもその分本気でエネルギーをかけるし

あなたもその分本気で受け取って

本気でどすこい相撲しような🤝

 

あなたはあなたのままの色で

わたしはあなた色微塵も染まらず

わたし色のままに。(←ここが勝負)

その2つの色が掛け合って

どんな色が生まれるか。どんな景色が生まれるか。

 

 

 

ってことで。

 

いろいろ試行錯誤してみよ〜

心地いいところ探そ〜

 

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好きな人といる時のわたしの不自由さ。

【恋愛すると不自由になる私=ださい隠したい】
って、ブロックを壊して出しちゃおう🌞
今日は初めて宇宙人の交信の音が聞こえた。
そうしたらいつも見てるオリオン座が
カラフルにチカチカして見えた。きれいだった。
わたしたち、仲がいいねとか、自然だねとか
言われることが多いけれど
わたしの実態はこれ。。。
『失う怖さ』
もういい!愛しきる!って覚悟持てるほどに、その怖さを味わい切れていないんだなあ。

 

 

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

あなたはいいよ。

 

 

 

1番大切な人の前で

1番失いたくない人の前で

自分らしく在れるから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

わたしはそうじゃない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

わたしは

一緒にいるのに何も言わずに襖を閉めることはできない

わたしは

楽しそうに話してるあなたに

もう眠いからもう聞きたくないって言えない

わたしは

ぶつかるかもなのに目をつぶりながらあなたと踊ることはできない

わたしは

あなたの存在を無視してほったらかして、ひたすら動画を楽しむことはできない

わたしは

キスしたくないとか可愛くないとか今はあなたが好きじゃないとか、そういうことは言えない

わたしは

誰もやってあげる人がいなくて、絶対にその人が困るって時に、やりたくないという気分を貫き通すことはできない

わたしは

待たせてる人がいるのに悠々とトイレは行けない

わたしは

繋いでくる手を、繋がないという選択ができない

わたしは

相手がキスしようとしてきてるときに、断るということができない

わたしは

相手が自分に手を伸ばしてきてもめんどくさいからスルーするってことができない

わたしは

相手の体勢・状況・雰囲気よりも、自分のその瞬間の体の心地よさのままに、体勢を変えることができない

わたしは

相手と喧嘩して、自分の中が平和じゃないときに家族や第三者とげらげらと大笑いしながら、時間を楽しむことはできない

わたしは

〜とキスしてみたいかも、とか、見てたらドキドキする、とかセックスしてみたいとか、言えない

わたしは

相手の全てを度外視して、「〜してほしい」「〜して」と願望や頼みごとをなにも気にせずに言うことができない

わたしは

相手がしてくれたことやくれたものに対して、気に食わなかったときにそのままに、気にくわないと伝えることができない

わたしは

相手が喋ってるときに、眠いからといびきをかいて寝ちゃうことはできない

わたしは

自分のせいで汚れた湯船に浮くゴミや髪の毛を、少しもきれいにしようとしないままお風呂を出ることはできない(これはただの文句だなあ笑)

わたしは

口で約束したことを、その時の気分で約束を破ることができない

 

 

 

 

わたしは

〜〜が

できない。

 

その意味は

 

 

直は

〜〜が

できる。

 

 

 

わかりやすく

わたしは〜「できない」って

書き連ねてみたけど、

厳密には

できないものと

難しいものと

勇気がいるものと、ある。

 

 

 

 

全部がぜんぶ、

できない、わけではないけれど、

そこに勇気や怖さがあるから、

 

それをけろっとやってのける(ように見えてる)直に、わたしは腹がたつ。

 

 

 

 

 

わたしが同じことをしようとしたら、

めっちゃ勇気いるのに。。

めっちゃ怖いことなのに。。

わたしはできないのに。。

ってね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

本当の本当の本当の意味で、

 

失う覚悟も

嫌われる覚悟も、

遠ざかってしまう覚悟も

悲しませる覚悟も

 

 

持って、わたしが

『ほんとうのわたしのしたい選択』が

一体どれだけできているだろう。

 

逆にどれだけそれが、

できてないだろうか。

 

 

 

 

あんだけできてないんだよーー!!!!!!

 

 

ぶわーーって書き連ねてみたけれど

全てを出し切れた気はしてない。

きっとまだまだある。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

病的だと思う。

 

頭から直が離れない度が。

 

 

 

直はなにしてるのかな?

直はどう思ってるのかな?

直はどんな気持ちなのかな?

直はいまどこにいるのかな?

直はいまわたしのことどう思ってるのかな?

直にどう思われるかな?

直が悲しんでしまわないかな?

直に嫌われてしまわないかな?

直を失ってしまわないかな?

 

 

 

 

 

そんな思考が

ほぼ一日中ぐるぐるぐるぐるぐる。

 

 

 

 

究極的に言ったらね、

これはきっと、わたしが小さい頃からずーーーーーーーっと、お母さんに対して、思ってきたもの。

 

 

 

 

 

離婚してお母さんとわたしの2人になり。

お母さんは水商売や男の人とお付き合いして。

 

 

わたしがなによりも、恐れていたのは

 

お母さんまでも、離れていくこと

わたしを置いてどこかへ行っちゃうこと

そしてたったひとり孤独になること

 

 

お母さんが家を出るその度に

お母さんが仕事に行くその度に、

 

 

わたしは

大きな不安と恐怖を、

感じ続けていたのだなあ。

 

 

その、癖というかパターンというか。

 

 

癒されていないもの。

安心を感じれていないもの。

 

そういう質。

 

 

 

これ、いまはもう

わたしにとっては

自分で作りだしている檻。

 

 

 

だがしかし、

この檻から、抜け出ることができるのは

1日でほんの数瞬。笑

 

 

 

おふろの、あっつあつの湯船に浸かる、

その瞬間。「ああああぁぁーーー!!!きもちいーーーーーーー!!」って叫んでるその瞬間。

 

 

 

ヨガや瞑想をして

自分の体の内側の感覚や

血液が脈打ってる感覚

伸びの感覚

緊張の感覚

緩みの感覚

に、ただ気づいていて

思考が0になり、

『ただ在る』という状態にいるとき

 

 

 

 

もうこの2つくらい。

 

 

あとは、

前の記事に書いたけど

ひとりで好きなように体伸ばすように表現したいように、体を動かしたときだ。

 

 

それ以外の時間は

すべて檻の中にいるような、そんな感じ。

 

 

 

思考の檻の、外にいれたら、

俯瞰してるところにいれたら、

いいのだけど。

 

 

 

 

難しい。。わたしにとっては。

1番大切な人

1番失いたくないと思う人

の前で

自分のままに、在る

ってことが、

本当に怖くて難しくて勇気いる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ついついわたしは、

わたしの望む状態[being]のために

すぐなにかしらの行動[doing ]を

取ろうとしてしまう。

 

 

でも、

この家にいながら

直と近くにいながら

自分で在ることに努めるのも

 

直の存在を端に置いて

自分のやりたいことを

「自分だけで」やることも

 

なんていうかな、

Doing だけでみたら

 

ただ直と同じ家にいる

ってことと

1人で物件探して拠点を持つ

っていう2つ。

 

ぜんぜん大きさの違うdoingに見えるけど、

 

どんなに大きなdoing をしたって、

内側が、心の中が、

檻の中ってこと、ざらにあるのよね。わたし。

 

 

もう直のことばかり考えてしまって嫌だー!!!もうそばから離れるー!!

 

って言って、

 

そばを離れても

一人で家で暮らしても

海外いっても

地球の反対側にいても、

 

だからって檻の外に出られるわけじゃない

 

 

 

何をするしないの

Doing によらずに

 

 

檻の外にいること

檻の外にいる檻の外にいる状態being で

いるということ、

 

それが大切って散々わかってんのになー。

難しいんだわ〜〜これが。

 

そりゃあ、助けてくれるdoingもあるのさ。

瞑想とかヨガとかね。

それも立派なdoing で。

 

でも、

Beingからの逃げのためのdoing 

Beingのためのdoing 

ってのが、

 

わたしにとっては

紙一重というか

曖昧というか

ごっちゃになりやすい。

 

 

そんでもって、わたしは

一箇所にじっとしてられないタイプ

 

 

だからついつい、動く方へ頭がいく。

 

 

でも最近はもう、それすら、

それでいいんだと思うようになってきた。

 

 

 

行きたくなったら行きゃあいい。

 

 

 

行って、

あーよかった。

あー変わらなかった。

あー逃げだった。

 

わかればいい。

 

 

そう思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

最近、

わたしがひとり個体として

誰かと関わったり

誰かにコメントしたりすると、

 

相手の方から

直とセット

みたいに扱われることがほんとうに多くなってきた。

 

 

わたしがわたしの中で、

わたしという輪郭を持たせることができているときは、これを素直に嬉しいと、喜ぶことができる。

 

 

でもわたしが、わたしという輪郭を、直から離せずにいる時には、

直とわたしを一緒にしないで!

2人セットにしないで!

わたしをわたしだけとして見て!

って思ってしまうんだなあって、最近気がついた。

 

 

 

 

 

2人は仲がいいねって、よく言われるけど、

 

暴力的な喧嘩もするし

胸ぐら掴んだり殴り合いしたり

叩きあったり蹴り合ったり

物を相手に投げつけたり(特にわたし)

する。

 

 

先ほども挙げたけど

好きじゃないとか

キスしたくないとか

可愛くないとか

ぶさいくだねとか

直は平気でわたしに言うし。

 

 

ぜんぜんわたしは

まだまだ直の前でのびのびしていない。

自ら作り出している不自由の中にいる時間が多くある。

 

 

 

 

 

でもそれすらも、

ぜーーーーんぶひっくるめて、

一緒に生きていきたいと

思いあえている、

そのことを、仲がいいというのかもだけど。

 

 

 

 

その中でも

すこーーーーしずつ、

確かな変化もあるよ。

(なんとなくこれ。直のブログ

『私の好きは変わらなかった』http://anzuruyori-umugayasushi421.hatenablog.com/entry/2018/12/09/213010

 

 

直と一緒にいる時の身体の緊張はだいぶ、とれてきた。『強張ってる』ってことに、自分で気がつけるようになった。

直より先に寝れるときもすこーーーしずつ。

 

 

直は、

茉優が茉優らしい姿

が1番すきなのに、

自分の存在によって

茉優が茉優らしく在れなくなる

という、、なんともな。

悲しいって今日も言ってた。

 

 

完全にわたしの質のせいで、

ごめんね、、っておもう。

 

 

 

 

 

 

小さな選択から。

わたしがわたしのままの選択を。

 

 

 

 

 

 

 

 

直に頼まれごとされて

力尽きたから

ブログはここまで。。

 

 

あ、今日ね

昨日のブログに紹介してた

キッサコの般若心経聞いてたら、

宇宙語というか、

宇宙人の交信、会話みたいな音が

イヤホンから聞こえてきて。

 

あー面白いなあ。こんなふうにしゃべってるんだ〜〜!って楽しく聞いてて。

 

あ、そういや直の魂は地球が初めてで

宇宙人みたいなひとだって

おちゃらけライトワーカーさんが

子宮シーディングのときに言ってたから

きっと懐かしむのだろうなと思って

直にも聞かせてみたら

うぁーんって、泣いてた顔(﹡ˆᴗˆ﹡)笑

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案の定、なつかしくて嬉しかったご様子でした。

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わたしの苦手な踊り

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わたしはびっくりするくらいに、

踊りができない。

 

なにかを見て

同じように踊るってことができない。

 

 

え、なんで、目から入る情報を

自分の体で再現できるの!!!???

どうやるのーー!!!??

って感じ。笑

  

 

ダンススクールとかで、

鏡の前で

真ん中にいる先生の動き見ながら

おんなじように踊ってる人をみて

いつも、驚愕する。笑

 

 

 

 

試しにね、前やってみたの。

中込さんっていう、

世界で踊って、ダンスで世界中の子供たちと

繋がる人。

 

そのひとの踊りがたくさん動画でアップされてるから、

鏡の前で、その動画を見ながら

同じように動こうとしてみた。

 

 

結果、

まっっっっっったくもって

同じようには踊れず。。笑笑

 

 

 

あーわたしは、

どこまでも、

 

何かや誰かに「合わせて」

ってことができないんだと、

わかった。もう参りましたって感じに笑

 

 

 

 

 

最近、キッサコっていう、

本当のお坊さんが、

般若心経を音に合わせてハモりながら

歌ってる動画にはまってて。

https://youtu.be/958qchBNs60

 

 

 

ほんとうに音が気持ちいいんだ。

 

初めて聞いた時から、

ほぼ毎日、何度も聞いてる。

 

 

心が落ち着くんだよね。

 

 

感情がぐちゃぐちゃしたとき、

それを聞いたら

涙が流れた。

 

 

わたしの苦手で怖い、

1人での運転も

その曲をかけると少し

安心して運転ができる。

 

 

 

お経もマントラだから

言葉にエネルギーがあるんだろうね。

 

 

 

その、わたしのお気に入りの般若心経を聴きながら、

 

1人で

好きなように

伸ばしたいところを伸ばすように

踊りのようなヨガのような感じに

体を躍らせてみたときがあった。

 

 

 

そのときの、

生き生きとした

のびのびとした

喜びのような感覚が、

わたしは忘れられない。

 

 

 

あーーー、

わたしの中にあるものを、

どんな目も気にせずに

ありのままに、

そのままに、

体いっぱいに表現できるとき

わたしの心はこんなにも、るんるんする

 

 

 

ダンサーとか

みんながすぐイメージするような

かっこいい、

形のある

踊りじゃない。

 

 

その「瞬間」の、

その「わたし」

にしか

踊れない

動き。

 

 

 

 

それを大切にしていきたいんだ。

 

 

 

 

 

もう、その一曲全力で踊ると

もうへろへろで。

 

 

だから、1日1回って決めてて。笑

 

 

 

今日は初めて直の前で踊ってみたのだけど、

今はまだ、直の前でも恥ずかしい。

 

 

 

写真は直の前で踊ったとき。

 

 

だから、まだ当分は一人で踊ろうかな。。

 

 

 

あ、ちなみにこの写真も

 

わたしが中学とか高校生ころから

自分が太ってること

というか

足が太いことがずっとコンプレックスで。

 

 

『わたしはもう一生死ぬまで

膝上は出さずに生きていく』と

心に固く決めたときがあった。笑

 

中学生だったかなあ。

 

高校生のころは本気でバドミントンやってたから、ふくらはぎが、ぼこってししゃものように筋肉ついてて。だから高校生から、わたしの足すべてがいやだった。筋肉質すぎて。太すぎて。

だから大学では、絶対に黒タイツ。素足だなんて言語道断。

足首まである長い丈だったり

ふわっとして足の太さのわからない

ズボンやスカートを履くようになってた。

 

 

 

だからこの服にいつもレギンス履いてるのだけどお風呂上がりに踊ったもので、素足。

 

しかも全然膝上。

 

 

だから、けっこう1F。

怖いこと。勇気あること。

でもだからこそ、ここに写真を載せとこうと思う。

 

 

 

あ、でもピースボート降りてからわたし

13キロ痩せたから、

そのコンプレックスに思ってた時代よりは

だいぶすっきりした方なんだ〜

 

 

体がコンプレックスだなんて

肉体を選んだわたしに

かわいそうすぎるよね。

 

 

少しずつの、

ちっちゃな、

体の心地よさを

大切にしていこう。

 

食べるでも

動かすでも

動かさないでも。

ストレッチとかヨガとか瞑想とか。

 

 

 

 

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怒鳴られて泣き、抱きしめられて泣く。

 

 

 

 

ついにその時が来た。

直のお父さんの嘆きや悲しみ、寂しさが、

ふとしたことを引き金に

怒りとして爆発した。

 

 

 

 


これが爆発するのを

わたしはずっとずっと、怯えてた。

 

だから、

お父さんから目を背けたかった。

向き合いたくなかった。

 

 

 

 


でも、それは突然に。

しかも初めて、わたしに対して。

いつも家族のおばあちゃん、お母さん、直に対してだけだった。

 

 

 

 


怒り、怒鳴るそのお父さんの

目から、表情から、

いっぱいいっぱい伝わってきた。

 

 

 

自分の思いが無視されて悲しかったよね

嫌な気持ちをないことにされたんだね

ないがしろにされたと感じてたんだね

嫌なものを、嫌とはっきり言い切れず

伝えきれず、ニーズが叶い切らなかったんだね

 

(書きながら、あーこれ、自分に言ってるみたいだなあ〜。あー自分に言ってるのか。わたしからわたしの言葉なんだなあと、わかった。)

 

 

 

 

 

お父さんの思い全てをキャッチして

「ごめんなさい」と謝れた。

 

 

 

 

 

わたしはお父さんが怒鳴りだしてから

終始泣いていた。

 

 


人が悲しみや寂しさを言えずに

溜めて溜めて溜めて、

怒りとして爆発したときの

エネルギーとは凄まじく恐ろしい。

 


しかも突然だから、わたしはびっくりした。

 

 


びっくりと怖さとで、ずっと泣いてた。

 

 


でも、その怖さは怖さのまま、

形を変えることなく

涙とともに昇華された。

 


だからお父さんに対する

反抗心とかは生まれなかった。

 

 

 

お父さんの思いをすべてキャッチし、

その上で、わたしもわたしの思いを話せた。

 

 


わたしに対するお父さんの思いや愛は

伝わってるよ、受け取ってるよ

ってこと。

 


わたしにとってのやりたいことってのは

お父さんのニーズとぶつかるから、

もうこの家ではやらないねってこと。

 


でもわたしは、やりたいことをやって生きていくから、そのためにこの家を出ていくねってこと。

 

 

お父さんは、頷きながら

わたしのことばを受け取ってくれた。

 

 

 

 

お父さんはしきりに、

 

おまえたちにこの家から出てけって言ってるんじゃないぞ

って。

明日、「おせわになりました。」とか言うのはやめてくれよ

って。

 

ただ、わたしたちに対しての

愛や優しさを伝えてくれた。

 

 

 

 

 

 

 

「まゆちゃん、うちに娘ができたようなもんなんだからな」

 

 

 

 

 

そう言いながら涙を流してるお父さんに

わたしもまた、うあーーーーーんって泣いた。

 

 

 

お父さんは、自分の子ども4人の中の

唯一の娘を、亡くしている。

17歳の時に直の妹は自殺をした。

 

 

それによる、心のダメージは計り知れない。

 

 

だからこそ、

お父さんが、どんな思いで

わたしに対して

「娘ができた」と言ってくれてるかなんて

想像に容易かった。

 

 

わたしはうれしさと胸の苦しさと喜びと

涙ぼろぼろ流しながら

「ありがとう」って言った。

 

 

リビングにきてからずっと

わたしの隣で手を握り

わたしの体をさすり続けてくれてた直も

泣きながら「よかったね」

って言ってくれた。

 

 

 

直は終始、

「2人ともに在る」という在り方で

そばにいてくれた。

直の手はいつも通りあったかくて。

冷たいわたしの手をあっためてくれた。

 

 

 

 

 

 

 

ひと通り話が終わり、

直と二階にかえろっか

となって、腰を上げて

リビングを出ようとしたら、

 

 

お父さんが近寄ってきて、

腕を広げてきた。

 

一瞬、え!?って、わけわかんなかったけど、

同時に

一瞬で、わけがわかった。

 

 

そしてお父さんが、

『お父さんの方から』、ハグしてくれた。

 

 

『お父さんの方から』ってのが本当に

これまでだったらあり得ないこと!

奇跡!!!!え!!??まじ!!!??

ぐらいな、感動的な奇跡なの。

 

 

 

だから、

ほんとうにうれしかった。

 

 

 

お父さんは

しっかりと、

とてもしっかりと、

抱きしめてくれた。

 

 

ハグしてる間

わたしのほっぺと

お父さんのほっぺがくっついてて。

 

お父さんのほっぺはやわらかくてあったかかった。

 

 

こんなにも『父性』というものを感じたことあるだろうか?記憶がある中では初めてだなあって。そう思った。

 

 

 

 

わたしを抱きしめてくれたお父さんに、

 

わたしの代わりに直が「ありがとう」って

言ってくれて、リビングを去り、扉が閉まったその直後に廊下で、直とわたしが抱きしめ合って。

 

 

2人泣いて喜んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

あーー、わたしは、

直と出会って、

桑原家にきて、ほんとうによかったなあ

 

 

って、心の底から思った。

 

 

 

わたしがこの家に住み始めてから

直と共に生きてから

想像を超えるような『変化』が

ほんとうにいっぱいあった。

 

 

 

 

直のお母さんとは、

対いち人間として、

ありのままに、関われた。

思うことを、正直話すことができた。

 

 

でもいつもいつも、

お父さんとは、

見る世界が生きる世界が違すぎて

理解しあえなかったり

お父さんの話がおもしろくなかったり

怒ると怖いなあって思ったり。

 

 

この群馬の家にいて

わたしのモヤモヤやストレスの原因は、

主にお父さんの存在と

直に写して浮き上がるわたしの内側によるもの。

 

だった。

 

 

実の父親との関係を、

一個前のブログに書いたけど、

 

なんだか

別のようで実は同じなんだってわかった。

 

 

わたしの中での

 

実の父親に対するもの

直の父親に対するもの

 

 

苦手意識や、

確かなつっかかりは、

同じだ。

 

 

 

 

だから

あのブログを書いた次の日に

この出来事があって、なんともまぁ

「流れ」なんだなあって。

宇宙の采配に、あっぱれって感じ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

直と出会い、

ともに生きていきたいって一心で

直が住む群馬の実家に

わたしも一緒に住んでた。

 

そこで、生きながら、

桑原家が使っていない

二階に直と2人で生活しながら

(二世帯住宅だったから二階にトイレも台所も部屋も寝室もあった)

 

その中で、

直と出会う前から、

わたしのなかにある、「やりたかったこと」を

なんとかかんとか現実にしてった。

 

でもそれははっきり言って

セカンドベストだった。

妥協策みたいな。

 

 

ずっとわかってたんだ。

だから何度も何度も出ようとした。

文句言ってた。

 

 

 

でもそれらから逃げるように

出てくのではなく、

ちゃんと対峙して、

向き合ってその結果、

出ていくという運びになって

 

 

すべてのこれまでの、

わたしがこの家で過ごした時間全てが

必要だったんだと思えた。

 

 

 

ついに、そのフェーズがおわり。

 

 

 

何にも引っ張られず

何にも遠慮せず

 

 

やりたいことを、

『本当にやりたいように』やる。

 

 

その時がきた。

ずっと待ってたよ。

 

 

 

 

 

新たな拠点がどこになるのかはわからない。

何と出会えるだろうか。

 

 

やりたいことのイメージは

日々ふくらむ。

 

やってみなきゃわかんないから

とにかくやってみたい。

 

 

 

 

自分の声を聞いてもらえず、怒るお父さんによって、

わたしの声を聞いてあげれないわたし、とさよならができた。

 

 

群馬のこの家にいるときにしかできない

口唇ヘルペス

 

体が教えてきてくれた。

「あなたの生き方ちがうよ〜〜」って。

 

 

 

 

ありがとう。

ごめんね。

赦してください。

愛しています。

 

 

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ちなみにこれが直のブログ

同じ出来事を前に、

ここまで文章が違うことが

ほんとうに面白い(╹◡╹)

http://anzuruyori-umugayasushi421.hatenablog.com/entry/2019/02/07/132250

 

やっぱり父親ね〜〜

 

昨日東京から来てくれた友達。

 

その人のこと、どこまで話していいのかわからんけれど、

 

とにかく

自分の中での実の父親像フィルター

 

その人にかけてしまう自分がいてね。

 

 

自分の父親と、

似てるところ

重なるところ

 

いちいち、引っ張ってきては、

心が緊張したり

体がこわばったりした。

 

 

あーーー、やっぱ、

良くも悪くも、父親って、

わたしにとって父親で。

 

親が離婚してても

一緒に生活しなくても

今一切連絡とってなくても

一度縁を切ったことがあっても

人として尊敬はできなくても

嫌だなあって思うところがあっても

この人が自分の父親だなんてやだなって

思った時期があっても

 

父親は父親。

 

 

お母さんがいま、

パートナーの人と幸せに生きてて、

わたしもその人と仲良くしてて、

 

まるっと、

いい感じに、

わたしにとっての「カゾク」が

収まってる風に感じた。

 

 

でもどこか、そのまるっといい感じを

感じてるそのときから、

 

実の父親が、現実として、

置いてけぼり感が、わたしの中にあって。

 

 

去年、ドコモ解約して、

メールがiCloudだけでやるようになってから

突然お父さんにメールが届かなくなった。

それから連絡手段がなく、

もう1年くらい連絡とってない。

会ってないのは、もっと前から。

 

 

そっからずーっと停滞してる。

 

お父さんが、

 

生きてるのか、

元気なのか、

何を思ってるのか、

どんな風に毎日を生きてるのか、

わたしのことはどう思ってるのか、

 

全くわからない。

 

たまにくれてたお父さんからのお小遣いも

もう連絡とれなくなったのと同時に

ピタリとおわった。

 

 

でもどこか、

気になってしまう。

 

どこか、

ただ、幸せ生きてますようにって、

祈りで終われない。祈りで完結できない、

お父さんへのわたし、がいた。

 

 

わたしはお父さんの前では、

ありのままではいれない。

 

時々、突如見せる

強引さや、暴力性、乱暴さが、

怖いから。

 

お父さんが、人にキレて

物に当たる姿を幾度となく見てきた。

 

幸いなことに、

まだ離婚する前、

お母さんを殴ったり蹴ったりする姿は

わたしは覚えてない。

小さかったのもあるけど。

てか、しんどすぎるから、

頭が忘れさせてくれたのだろうなと思ってる。

 

 

怒り、

暴力性、

 

お父さんに見てきたものでもあり、

わたしの嫌悪の対象でもあり、

一方で自分がいま、対直との間で

表に浮き彫りにさせてるものでもある。

 

これまでは、

 

自分をコントロールできずに

怒ってる[父親のような]人間がもっとも惨めで愚かだって、呪いを持っててね。

怒りにブロックがあった。

 

だからわたしは、怒れずに、

怒りを、ひねくれや憎しみ、不機嫌などに腐らせてた。【それは湿度がある。】

 

でも少しずつ、

瞬間沸騰的に、潔く、スパッと怒ること。【これはカラッとしてる。】

 

を許せるようになってきて、

それができるようになってきた。

 

それに怒りは二次感情だから、

怒りの奥にある

悲しさや寂しさ、嘆きを、

見つけてあげることができるようになった。

 

 

そうしたら、同時に、お父さんへの目も変わった。

お父さんのこれまで見てきた姿も許せた。気がしてた。

 

 

が!!!!!!

 

 

まだあるんだなあ〜。

 

 

 

「もうどうでもいいって思われてるのかな」

「もう愛してくれてないのかな」

 

そんな不安が、声が、

何重にも蓋した奥の奥には

あるんだなあ〜。

 

 

ネックだ。

ネックすぎる。

 

 

この世で、どうに関わったらいいかわからない人間のナンバーワンは、自分の父親。

(その次が直の父親、、)

 

 

困ってしまう。

自分で在れなくなる。

 

 

わたしのお父さんが刀持ち出して

殺されそうになって

裸足で家を飛び出て

近所の消防署に駆け込んで

離婚に至れたわたしのお母さん。

 

 

わたしがお父さんの前でも

自分のままに正直で在るってことは、

ある意味で、

殺されかけることを覚悟すること。

まじで殺されるかもなことを覚悟すること。

 

そう思ってるわ〜。

そりゃあ怖いわ〜。

そりゃあやだわ〜。

 

 

 

でも面白いよね。

愛されたいと思うその願いは、

「ありのままのわたしが」愛されたいのよね。

 

なのに、

ありのままのわたし  であることが怖すぎて。

 

 

お母さんへ、いまもある

お父さんの中の憎しみ。

 

それが簡単に

ひょいっと、矢印が変わり

「わたし」に向いたことがあった。

 

ずっとなかったのに。

矢印がわたしに向くだなんて。

わたしに向くことはできないと思ってた。

 

いつもいつも、お母さんのことは、

怒りながら、憎しみながら、悪く言うけど、

 

わたしのことは、

まゆちゃんまゆちゃんって、

可愛がってくれてたから。

 

 

だからもう、お父さんが

お母さんへの憎しみを

わたしに向けてきたときには

血の気が引いた。

 

 

父親と

血が繋がっていることが気持ち悪く

吐きそうになって、

本当に吐き気が止まらなくて

わたしの体すべての血を抜きたいと思った。

 

 

人間が、

「憎しみ」で体を支配されるときの

感覚というものは

血の流れというものは、

こういうものなのか、と。

 

 

 

 

それがきっかけで一度縁を切った。

 

 

わたしが全てをブロックして、

1年ほど連絡が途絶えた。

 

でもNVCをきっかけに

関係が復活した。わたしの方からアクションをとった。そしてそのできごとに関して

 

お父さんからの

 

素直な「ごめんなさい」を

 

わたしは生まれて初めて聞いた。

それには感動した。笑

 

 

ほんとに意地っ張りで、

プライド高くて

不器用で

口ばっかりで

素直の真逆で、

とか書いてたらなんか嫌な気持ちになってきたからやめよう、、

 

 

 

 

まぁとにかく

そんな経緯がドラマが

 

わたしとお父さんの間にはあるのだけど、

 

なんたって、

反応ポイントなのよね。

反応がでかい。

父親がらみに関して。わたしは。

 

ほんとに自分の中で

なんのタネもなかったら、

そんな気にかからんし、

胸はざわざわしない。

 

 

それを、

見て見ぬ振りするなよって、

 

そんなメッセージが降ってきたような気がした。その友達がうちに遊びにきてくれてね。

 

 

気づかせてくれて、

ありがとう。

 

 

そのトンネルの先には

どんなタネが出てくるかな〜〜

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屋久島のトンネル)

 

 

パートナーシップと性。

『パートナーシップ』

 

 

やっぱりおもしろい。

 

 

自分の中の

 

女性性と男性性の統合

思考とこころの統合

顕在意識と潜在意識の統合

子宮とこころと思考の統合

子宮と人間の統合

魂とエゴの統合

 

いろんな角度の

いろんな方向の

『パートナーシップ』ってものがある。

わたしのなかに。

 

 

これはもう何次元と表現できるのかわからん。

 

 

おもしろいのはさ、

 

パートナーってのが

わたしでいえば直ってのが、

 

わたしの中を忠実に再現してくれてる存在ってこと。

 

 

 

思考[男性性:執事]と

こころ[女性性:じぶん]が、

仲悪いと、

 

直とも、仲が悪くなる。

 

 

執事さんに聞いてもらえない

悲しみを怒りを気持ちを

 

ぜーーんぶ直にぶつけるからね。

(執事論はhappyちゃんを参考に)

 

わかってよ!

きいてよ!

認めてよ!

愛してよ!

謝ってよ!

感謝してよ!

 

って。

 

これぜーーんぶ、

子宮から「わたし」への声。

潜在意識から「顕在意識」への声。

 

 

 

 

 

 

 

わたしは、

これまで、

何人もの男性とせっくすをしてきた。

 

感じるのが好きだった。

満たされるのが好きだった。

気持ちいいのが好きだった。

せっくすが好きだった。

 

 

でもなぜか、

自分で気持ちよくなることには、

罪悪感があり、

自分でくりとりすは触われても

膣にはどうしても指を入れることができなかった。

 

 

先にその流れを運んできてくれたのは直。

 

膣トレの本を読み

オイルを使い、

自分の女性器を

マッサージして、

膣にも指を入れてた。

 

 

すごいなあ〜

やっぱ性と向き合うことって

じぶんの生と向き合うことと

同じだよなあ。

 

って。

 

そう思い

なんともなく、

ふと、わたしもオイルを使って

女性器をマッサージしよう!

っておもった。

 

 

お風呂上がり、

意を決して、椅子に座ると、

 

おもむろに、

直が、

こっち向いて

といい、

あしひらいて

といい、

オイルちょうだい

といい、

 

わたしの女性器を

マッサージし始めた!

 

え!あ、ありがとう、、!

 

ってなったわたし。笑

 

 

会陰マッサージまではよかったものの、

膣に指を入れられてからは、

なんともいえない

んー違和感?というか

異物感?というか、

不思議な感覚。

 

 

せっくすでもない

感じるでもない

「ただ、指が、膣に入っている」

という。

 

 

そしてね、

膣トレに書いてあるとおりに

いろんな方向に

膣の中、指を押していくのだけど、

 

だんだんと、

わたしの胸が苦しくなってきて。

喉がきゅぅっと

締め付けられる感覚が生まれて。

 

息するのがしんどくなった。

 

 

だから

わたしは、

意識的に

深呼吸を繰り返した。

 

 

女性器ってね、

膣ってね、

いろんな感情を溜め込むんだって。

そこにすべてが記憶される。

カルマも。

 

 

だから、

わたしは、

本音が言えない

言いたいことが言えない

ってので、

『喉』

第五チャクラを

普段から気にかけてるんだけど、

 

 

 

見事に、

 

膣と喉  が、

 

共鳴した。呼応した。

 

 

 

繋がってる。

 

すべて。

 

膣から。

子宮から。

女性器から。

 

 

 

 

ひととおり、直が

マッサージしてくれたあとに、

 

自分でも膣に指を入れてみよう

 

って思って、

 

 

たくさんオイルをつけて

恐る恐る、

ゆっくりと、

 

 

膣に指を入れた。

 

 

 

 

『あったかい』

 

 

それが初めの感想。

 

 

そのあと

走馬灯のように、

膣に入った男の人たち

=せっくすをしてきた男の人たち

の存在がばーーーーーーっと、

わたしの頭を駆け巡った。

 

 

 

そしてね、

 

なんか、どこからか、声が聞こえてきた。

 

 

 

 

うまく言語化できる自信ないのだけど、

 

 

「ずっといたね、ずっと見てたよ。ぜんぶを受け止めてきたね(or  きたよ)。だいじょうぶだよ。」

 

みたいな!!

 

誰から誰への声だか、

ここにきて、

もうよく頭は働かないけど!笑

 

 

 

 

わたし泣く時って、

目頭が熱くなるとか

胸がぎゅーぅっとするとか

込み上げてくる感覚が起きるとか、

 

何かしらの『感覚』が生まれて

涙が流れるんだけど、

 

 

今回の涙はね、

 

なんの感覚も生まれずに

 

すーーーーーーーっと、

 

スムーズに

 

 

しずかーーーーーに、

 

 

自然な流れのままに、

たくさんの涙が溢れだした。

 

 

 

 

なんだかわからない神聖に愛に触れた。

 

 

 

 

そのわたしを見て、

「おめでとう」と言ってくれた直。

 

 

「ありがとう」と

笑顔で言うわたし。

 

 

 

このとき、

 

 

この世界のすべてを愛せるような

母性のような

霊性が開いたでもいうような

 

そんな感覚になった。

 

 

 

ずーーーっと、

「感じさせられたい」

「入れられたい」

「気持ちよくさせられたい」

 

って、

受け身だったんよね。

他力本願だった。

 

 

まぁ本能的にいえば、

女が男を求めてて、自然っちゃ自然なんだけど、

 

 

わたしの膣に

男のちんこは、受け入れれるけど、

わたしの指は、受け入れれない

 

って、

変やん!!!

 

 

何かしらのブロック、

抵抗感、

詰まりってのがあるなあとは思ってたんだ。

 

 

そこによーーーーやく、

向き合って、

手をつけたって感じ。

 

 

 

そして、ようやく、ようやく、

 

 

 

 

じぶんの中で統合するということの「意味」

 

を、

 

体感として

 

知ることができた。

  

 

 

これがおおきい。

 

 

 

人に求めるのではなく

男に求めるのではなく

パートナーに求めるのではなく

直に求めるのではなく

 

ね。

 

 

 

 

 

この時間がおわったあとの

わたしの表情を見て直が

「茉優、こどもに戻ったみたいだね」

と言っていた。

 

 

 

還っていくのだろうな。

 

 

本来のわたしに。

 

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あ、

今日ね、

性愛セラピスト(だったかな?)の

りさちゃんと、

なおと、

東京で3人で会って話して

たくさんの気づきと学びがあったんだけど、

 

1番面白かったのが、

 

①あたま・思考

②こころ・感情

③男性器女性器・性欲

 

っていう3つが

体の上から順にあるとして、

矢印の向きは下から上で

 

②番目のこころ  で、

感情が抑圧されると、

それが上に行かず

昇華されず、

 

 

 

ぐるぐるぐるぐると、感情が

男性器女性器のまわりをまわり、

性欲として湧き出て、

発散しようとするっていう。

 

 

でもいくら、

性欲を発散しても、

その正体は

【抑圧されている感情】だから、

 

抑え込んでいる感情を

口から吐き出さなければ

 

いくら、せっくすしても、

根本的な癒しにはならない。

 

 

 

性欲がつきない

って思ってるけど、

それ、抑圧された感情が

行き場を失って、発散先を探してるだけ。

 

 

感情は、

吐き出せる場所はひとつ、『口』だけ。

 

 

 

膣からもちんこからも、感情は吐き出せない。

むしろ子宮や膣に溜まる。

 

 

 

 

 

この話がなんともおもしろかった。

 

 

 

 

わたしがまえにせっくすしたひとも、

 

めちゃくちゃ感情を抑圧してきたひとだった。

 

 

わたしたちがせっくすをしたあと、

 

何度もふたりで、

深く、深く、話し合い、

感情を、

認めてあげようって、

許してあげようって、

言葉にしようって

涙にしようって

 

わたしは彼に伝えたんだよね。

さいごのさいごまで。

 

 

「茉優はemotional therapistだね」って彼に言われた。

 

 

 

わたし、知らず知らずに

理にかなったことしてたんだーー!

って、いまわかった。

びっくりしてうれしかった。

 

 

 

 

それぞれが、

ふたりの人間が

『じぶんの内側』と向き合い、

『じぶんの中での統合』をするとき

 

ふたりの間のパートナーシップは

『すごぶる健全』になる。

 

 

この感覚を、わかり出してる今日このごろ。

 

 

 

 

おもしろーーーい!ぞ!パートナーシップ!

 

 

 

りさちゃんとの時間をきっかけに、

 

また新しい風が吹いた。

 

 

あ、気に入った感覚があって、

 

わたしが横に【広さ】

直が縦に【深さ】

 

それぞれが、それぞれにしかできないことをする。

 

そうすることで、立体を持って

うぉーーーって、拡がる。

 

 

このイメージ、

このパートナーシップ、

 

すてきすぎるやん!!!って。

 

りさちゃん、ありがとう。

 

わたしたちは、そのうち、群馬でお話し会をしますね。

 

おたのしみに。

 

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抱負はありません。ただ生きる。

2週間ぶりぐらいのブログだ。

 

なんだか、ふと、文字を綴りたくなった。

ただ、だらだらメモのように書くように。

 

 

 

ただ、生きる

 

ってこと。

 

ただ、暮らす

 

ってこと。

 

それは突き詰めれば、

 

自分で自分をごきげんにし続けるということ

 

自分で自分をしあわせにし続けるということ

 

 

そうでしかなくて。

 

 

からだの声を聞くこと。

 

心の声を聞くこと。

 

生まれる感覚をしっかりキャッチすること。

 

 

 

これは、たべたい。

これは、たべたくない。

今はこれを聴きたい。

今はこれを聴きたくない。

今はここにいたくない。

今はここにいたい。

今は話したい。

今は話したくない。

 

 

今は風を浴びたい。

今は空が見たい。

今は自然に触れたい。

今は自然を見てたい。

今は鳥や命あるものを見てたい。

今は流れる川を見てたい。

今はからだを伸ばしたい。

今はうたいたい。

今は踊りたい。

今は文字を綴りたい。

 

きょうのわたしはそんな感じ。

 

 

そんな感じで生きてたい。

それしかない。

 

新年の目標とか、いいやっておもう。

まわりみーんな、直も、立ててて、

すごいなあ〜っておもう。

 

わたしもなんか作らなきゃ!

って思ってたけど、

無理にはいいや。だからやめた。

 

抱負はありません。笑

 

 

わたしは、ただ、生きる。

ごきげんに。しあわせに。

 

 

 

 

 

 

いくつか話したいトピックがあるんだよなあ。

 

 

『自分が、自分のままで、在り続ける』

ことは、勇気がいる。

 

 

トゲになるかな

誰かを傷つけちゃうかな

どう思われるかな

変人と思われるかな

 

いろーーーんな、他人軸からの思考は生まれる。

 

 

それでも、

 

自分が自分で在る選択をする

 

 

結果

きれーーいに、わかれる。

 

 

離れていくもの

近づくもの。

 

 

 

すべてが「よかった」なんだよね。

 

 

離れていくものは、

離れてよかった。

 

近づくものは、

近づいてよかった。

 

 

 

それが、より、本来のわたしに近い道だから。

 

 

 

頑張って抵抗して

攻めて

怒って。

 

ちょっと、わたしの胸はズキンとする。

 

でも。

 

いいよ、わたしはあなたの道を脅かしたりはしないから。

わたしはただ、わたしの感じたものを、表現していくだけだから。

もう、いいよ、だいじょうぶだよ。

 

そう、さよならすることだってある。

 

 

 

逆にね、

怖くても

勇気を出して

感じるままを伝えた先で

 

思わぬところに響き、届き、

ありがとうって言い合って、

より繋がって

より一体となるときもあるんだ。

 

 

 

わたしはこれ、

物を断捨離するときの心地よさと、

同じだと思ってる。

 

 

人間関係も、

「わたしがわたしで在る」ことで

断捨離ができる。自動的に。

 

 

 

この前Facebookのともだちを整理した。

 

なんのやりとりもしない人

なんの反応もきたことない人

何かあったとき連絡できなさそうな人

繋がりたいと思えてない人

 

さよならした。

 

いらない情報も、とことんカットした。

 

 

Facebook上だけじゃなく、

携帯の中も

部屋の中も

かばんの中も

わたしの心の中も。

 

ぜーーんぶ、いっしょだよね。

 

 

 

群馬の部屋、とことん断捨離した。

新潟にそのうち帰るからそのときも、

また、断捨離できるのがたのしみ。

 

 

目をかけれていないもの

把握できてないもの

こころが踊らないもの

不安から握りしめてるもの

 

それは邪魔。ごみ。スペースがもったいない。

 

 

余白を生むこと。余白をつくること。

 

それってほんとに、なんにでも大事。

なんにでも。

人が生きる上でも。

誰かとの関係を築く上でも。

ほんとに自分に合ったエネルギーで満たす上でも。

 

 

 

「わたしのお気に入り」に囲まれた生活

って、ちょうはっぴーだよね。

 

 

 

そういや今日の朝、

 

わたしの中で

 

《シンプルで在ること》

ってのが出てきた。

 

 

あ、でもこの話は、おちゃさんの子宮シーディングのおはなしとくっつけて、またべっこでブログ書くことにしよう〜〜。

 

 

あとね、面白い話さいごに。

 

 

いま、わたしは働いてないし、職もない。

 

 

けど、今が、いちばんリッチな気分で生きてるって言うのかな。笑

 

自分の望むものに

自分の欲しいものに

忠実になれてる。お金の額に関係なく。

 

てか、そもそも、わたしの身の回りが

ものの、

おかねの、

エネルギーの、

愛の、

「豊かさ」で溢れてる。

 

 

ほんとに豊か。

 

や、もっともっと豊かな世界はあるのも知ってるんだけど、

 

 

やーーそれにしても、いまは、いまなりに、

わたしたちなりに、いまがめちゃめちゃに豊かすぎる!!と感じる日々なわけですよ。

 

 

 

1年前大学生だったときはバイトしてたけど、

 

一貫して、わたしは生きてからこれまで、

 

 

お金に困ったことがない。

不安がないとかとは別で、物質的に?現実的に?って意味でね。

 

1番危うかったときが、

大学1年の頃だったけど、

うまーーーく、

もうやばいぞどうする!ってときに

ポンって入ってくる。

助けの手がはいる。

 

 

大学辞めてからも、

節約を心がけてはいるけど、

(節約ってか、わたしの場合は【人との繋がり】がお金に匹敵すると思ってて、そっちに力を入れていたってイメージ)

結局、けっこー好き勝手やってた笑

 

 

それでも、お金の呪縛に囚われてるうちは、

えげつない損得勘定とか、ケチんぼとか、泣くほどの怖さとか持ってるよ。それらと嫌でも向き合ってきた2018年だったなあ。

 

 

わたしと直の間にあった

お金がらみでのケンカ

お金の分離も

2018年の最後の最後に

変化がおきた。

 

それはだいぶ大きな、新しい変化だね。

 

去年の年越し、

うちら2人タイにいたんだけど、

たった1バーツに大喧嘩して

直は道路に飛び出て死ぬんじゃないかってほどの修羅場でしたのでね、わたしたち。笑笑

 

 

お金の分離は

こころの分離につながる

って、ほんとうだなって、いまここにきて、腑に落ちてる。

 

 

そんな、おかねのこと、自分の内側のこと、直との関係のこと、ひたすら向き合いながらいた、いちねん。

タイ行って

インド行って

日本転々として。

 

やーー、「生きてた」なあ〜〜

っておもうね。

 

 

生きてた。

 

人間らしく。

 

めいっぱい。

 

ぶつかって、泣いて、怒って、笑って。

 

 

わたし、移動して、新しい景色に出会うのが、新しい人と出会うのが、本当に好きなんだけど、それ以上に、

 

わたしが、わたしの中の『カラフルなわたし』に出会うのが、ほんっとうにたまらなく好きなんだと思う。

 

 

 

 

 

わたしは、

どこまでも、

どうしようもなく、

わたしなんだ。

 

 

 

 

と。

 

 

 

それをいちばん、だれよりも、その色とりどりな、色を、引き出してくれる存在が直。

ありがとうだね。

 

 

今年はどんな1年になるのかなあ。

年女!いのしし!猪突猛進!爆発!な予感。笑

 

 

直とのパートナシップはどうなっていくかな〜

 

パートナーシップのおはなしかい、はやくやってみたいなあ〜

なにがどうなるのかなあ〜

まずは、ワタシとのパートナシップだなあ〜

 

 

 

次書きたいこと、ここにメモしとこ。

 

 

 

◎人の好きとか、固定観念とか、集合意識

◎子宮シーディングの結果、人間のわたし、魂のわたし

◎ヤキモチ、怖さ、不安、シンプルに在ること

◎おかね、稼ぐって発想捨てちゃう?

 

 

 

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群馬の南牧村から。うれしいうれしい、あったかい、新年の贈りもの(のおくりあい)。すてきな発想だよね。ほんとにこころあったまった。わたしもはやく贈るのがたのしみ。