Mi amas vin.

感じたままを、ありのままに、正直に。

わたしの幸せと、親の幸せ。

 

わたしの育ての親であるおばあちゃん。

 

 

わたしが小さい頃

いろいろ大変だったわたしのお母さんをみかねて、

 

 

「あなたは母親失格です。まゆはわたしが育てます。」と言い、

 

 

引き取ってくれた。

 

 

 

 

そのとき、

この子にはもう寂しい思いをさせまいと、たっぷりの愛情を持って育てるんだと、覚悟したんだと、後になって、おばあちゃんから聞いたことがあった。

 

 

 

事実、

おばあちゃんはわたしにたっぷりの愛情を注いでくれた。一番の理解者だった。おかげで、小さな頃言葉を喋らなかったわたしは、今やこんなにも人がすきでおしゃべりが好きで天真爛漫に育った。

 

おばあちゃんのおかげだと思っている。

 

 

 

 

そんなおばあちゃんが、末期ガンになった。

 

 

 

 

これまでおばあちゃんから受け取った愛と

共に過ごしたたのしかった日々と

いろんなものが、

走馬灯のようにわたしの頭を駆け巡る。

 

 

 

ぶれてしまう。

 

ついつい、

おばあちゃんの望むように

自分が動いてしまいそうになる。

 

 

 

でもわたしは、はっきりと決めたんだ。

 

 

 

親の期待や希望、願望に『応える』ことだけが、親を愛するということでは、ないということ。

 

 

 

わたしは、『わたしの』願望や期待に応えてこそ、「わたしがわたしになる」。

 

 

嘘偽りのない『ほんとうのわたし』で、

愛を伝えるんだって。

 

 

そう、大学を辞めるという決断をしたときに決めた。

 

 

 

大学を辞めると言いだしてから

おばあちゃんは毎晩泣いたり、

体調を崩したりしたけどね。

 

 

おばあちゃんにとっては、

まゆが大学を出て、きらきらと学校の先生をやるってことが、何よりの望みだったから。

 

 

 

そこには、ただ、

まゆがまゆらしく、輝いてほしい

っていう純粋な想いがあると思うんだ。

 

 

 

だけど、ついつい、形に囚われてしまいがちなんだよね。

 

 

 

わたしは大学や、公教育には、

こころの【違和感】ってものが

確かにあった。

 

 

その違和感を、そのままにはできなかった。

 

誤魔化しきれなかった。わたしが本当に感じてることを。

 

 

その大きな背中押しをしてくれたのが、直だった。

 

 

 

だから、

おばあちゃんにとって直は、

 

まゆと出会わないで欲しかった存在。

 

 

そんなようなことを、

ついさっきの電話で言われた。

 

 

「わたし、まゆが直と出会ったことが人生で1番ショックなんよ」

 

 

って。

 

びっくりしたし、悲しかった。

 

 

「普通の男性だったらよかったのに。女性だなんて、、」

 

 

って言ってた。

 

 

 

あーこんなにもリアルに

 

わたしの幸せが

おばあちゃんの幸せにならないってこと、

 

 

胸が痛いなあと感じた。

 

 

 

そこには

おばあちゃんの中にある

当たり前や常識、世間体、体裁があるから、

そこはわたしには、どうしようもない。

 

 

 

普通に結婚して

普通に子ども産まれて

普通に働いて

普通に収入を得て

まゆは教師をして輝いて

 

 

そんなものを望んでる。

 

 

 

自分の人生をかけて、

愛したという、育てたという、

そういう自負があるからこそ、

ついつい、子供の人生を自分の一部と同化してしまうんだろうね。

 

 

まゆが、

おばあちゃんの思うように、望むように、生きてくれるのがおばあちゃんの幸せって。

 

そんな風に感じた。

 

 

 

 

今度は『死』。

 

 

余生をまゆと過ごしたいと言われた。

 

 

でもわたしは、

わたしの道を生きたい。

 

 

その場所は新潟の実家の家ではない。

 

 

わたしは、

なにかを我慢して

直とも離され

おばあちゃんの期待に沿うことが

やりたいことではない。

 

 

わたしは、わたしのいのちを生きて

輝くこころで、

 

育ててきてくれて、

ありがとうって。

 

愛してるよって。

 

幸せを祈ってるよ。

 

って、そう伝えたいんだ。

 

 

 

 

 

 

死を前にしても、

 

それでもなお、

 

わたしは、わたしの道を、選べるか?

 

 

 

 

そんなところに、いまはいる。

 

 

 

 

 

分かり合えるはずなのに、

分かり合えない。

 

たしかにそこには、

愛や純粋な想いがあるのに、

世間体とか常識とかいろんなものが邪魔をして、

 

分かり合えないような

愛がないような

大切じゃないですよって言ってるような。

 

 

そんな風になるのが胸が痛いなあ。

 

 

 

 

 

それでも、わたしは

 

わたしに嘘ない選択をしよう。

 

 

 

大切な人の死を前にしても

わたしにとってのわくわくを選ぼう。

 

 

 

これまで受けた愛を手に握りしめ、

おばあちゃんの望むように

わたしが動いて、

あとから、

あれがしたかったのに!

ほんとはこれがよかったのに!

って、そんな文句をおばあちゃんには言いたくない。

 

 

わたしも、わたしに、言われたくない。

 

 

 

 

 

 

 

だから、愛を持って。

 

 

わたしは、わたしの道へ。

 

 

 

 

おばあちゃん、ありがとう。愛してるよ。

 

 

 

 

 

新潟に住みはしないけど、会いにいくよ。

 

会える日を楽しみに、

わたしはわたしの場所で、

めいっぱいに、生きるね。

 

 

おばあちゃんも、

おばあちゃんのいのちを

めいっぱいに生きれますように。

新潟の地で、しあわせでありますように。

 

 

Mi amas vin

 

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セクシャリティーってもの。


私が大学辞めてすぐのころ。

2年前にタイ行きの飛行機で、

たまたま隣の席だったフランス人のトマ。

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初対面で機内だけど、

彼がゲイであることをオープンにしてくれたのをきっかけに、わたしたちは

めちゃくちゃ性のことぶっちゃけトークした。そのころ性のことでぶつかってばかりの私たちのこともぜーーんぶぜんぶ話してた。笑

ほんっとうに初対面とは思えないほどの深い話をした。たのしかった。

 

それが結構強烈な思い出になってた。

 

 

直と性のことを向き合うことが苦しかった頃のわたしに、

 

あーやっぱりわたしにとっては

直とのことが、性のことが、

わたしの真ん中にあるものなんですね

 

って、やっぱそうなんですね、降参します

 

って、神様に参った状態にさせてくれた、ターニングポイントのような出会いだった。

 

それはわたしの背中を押してくれるものだった。

 

 

 

そのおかげで繋がり続けた縁。

 


そんなトマと今日2年半ぶりに、

愛媛で再会した。

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あのころは、

わたしはなおとのせっくすにおいて

喧嘩だらけ。問題というか、課題だらけで。笑

 


性的な時間があるその度に喧嘩していた。

そのことで深い傷を負うことだってあった。

 

 

 

でも、めげずに、懸命に、

わたしたちは、

性に関する、

【自分が感じたこと、想い、ニーズ】を

これでもかと伝え合ってきた。

真正面に。ばか正直に。

時には目を伏せたいような

醜い部分にだって目を向けて、

晒し、認め、赦し、愛してきた。

自分にも、相手にも。

 

 

 

あれから2年半。

 


「あれから、なおとはどう?」

 


と聞かれ、

 


「え、いまはめっちゃさいこー。しあわせ。」

 


って即答する自分がいた。

 

 

 

性のことって、

すんごくナイーブだし

繊細なところだし

大好きで大切な人ほど、

踏み込むのがこわいテーマ。

 


私に関しては

自分の核となる部分と性ってのが

密接に関わっていたから、

直とのこれまでのプロセスで、

胸が心が痛いこともあったし、

ありとあらゆる感情・記憶が涙として昇華されてったことも、たくさんあった。

 

 

 

そんな、「性」。

そこから目を背けずに

何度も何度も、向かい合ってきたからこそ、

真っ向勝負しまくったからこそ、

 

 

 

たどり着いてる、いま、がある。

 

 

 

味わえている、まぐあいの世界がある。

 

 

 

トマにふと、

 


「まゆってパンセクシャル?」と聞かれ、

 


「うーん、違うと思う。」

 


って答えた。

 


直と出会うまで、

わたしはずっと男の人としかお付き合いもせっくすもしたことなかった。

 


でも、なぜか直と出会ってから

なんともなく自然と直のそのままを受け入れてるわたしがいた。

 


だからって、

わたしは自分が

パンセクシャルとか

レズビアンになったとは思わない。

 


【直が、直だったから、好きになった。】

 

 

 

それしか言えない。

 

 

 

その事実によって、

わたしのセクシャリティーのカテゴライズは、特に変化するものではないと思ってる。

 

 

 

直と出会い初めて、わたしがひとの女性器を愛でるという機会が生まれたけど、だからって、わたしの性的指向が女性になったわけではない。

かと言って、これからも変わらず好きになるのもせっくすするのも男性です、と言うのもそうだとは思うのだけど言い切るのってなんだか、変。

かと言って、わたしはパンセクシャルで好きになる人に性別は関係ありません!とも言えない。そんな気はしてないし。。笑

 

 

 

 

男子トイレに入り、女湯に入る


直は、男でもないし、女でもない。

直は、男でもあって、女でもない。

 


ただ、直。

 

 

 

だからわたしも必然的にカテゴライズの外なんだなと。

 

 

 

 

そこには、

LGBTQとかパンセクシャルやらなんやらの外に、

 


ただの、直

ただの、茉優

 


が、惹かれ合い愛し合った

 


それで終わり、なんだなーって。

 

 

 

きっとみんなそうなんだけど。

 


こんなにも、まじまじとリアルに

性別を超えてるからこその、この面白さを感じたのでした。

 


おわり。

 

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愛おしき、もにょもにょ。

自然の偉大さ、美しさ、たくましさに心奪われ

思考の果てしなさ、終わらぬ苦しみに心奪われ

喜んで泣いて怒って、どカラフルな感情に心奪われ

 


せわしくも、しあわせな1週間だった。

 

 

 

自分の幼い頃からの癖やパターン

自分の中に蔓延っている思い込み、呪い

によって、

繋がりたい人と繫がれないことの

なんと悲しいことか。

止まらぬ涙に自分を知った。

 

 


でもそれも、「決める」という行動をとることで、繋がれるようになるのだということ。決めたら「変わる」のだということ。

 

 


雪解けの瞬間がわたしはたまらなく嬉しかった。

 

 


野草のパワーに支えられ

自然の深さに包まれて

お互いの核に核に、触れる時間だった。

  

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フェイクの概念、思考、妄想からの

「抜け出方」をひとつひとつ増やしたい。

 

 

最近見つけたのは

目をかっぴらいて、

手をべろべろべーみたいにして

超絶ひょうきんな顔をすること。笑

 

 

そうしたら、わたしの中でドンっと構えている

わたしの本質に、出会えた気がした。笑

 

 

その出会いはうれしい。

 

 

魂って、目に見えないからさ、

自分の表情をつかって、

少しでも表現してみると、

出させてみると、

なんかたまらなく楽しくって、うれしくって。

 

 

自分への愛おしさが溢れてくるんだよね。

 

 

 

そしてしまいには

自分へ向けてキスをしたくなった。

 

 

ばかーーーーって思うけど

あほやなあって思うけど、

 

 

これがなかなか結構いいのよ。笑

 

 

 

 

でもそれやるのはね、

ただもにょもにょ、悩みもがいているときは、簡単なの。

 

 

でも人への怒りが生まれているときには、難しい。。その顔をしたいと思えないから。笑

 

 

わたしの中は

「くっそぉ〜〜」

「なんだよまったく」

ってなってる。そんなときに、ひょうきんな顔なんてしてやるもんか!!!って謎の意地が登場する笑

 

 

そんなときのいいアイデアもそのうち出る気がするなあ。

 

 

 

 


真実に

目を向けよう。

 

 

 

 

確かにそこに「在る」ものに 

目を向けよう。

 

 

シンプルで在ろう。

 

 

 

 

前回のブログでの

直が、

癒される人

ありがとうをいいたい人

愛してるを言いたい人

と言われて

茉優じゃない女の子(さおりって名前)が思い浮かんだって話。

 

 

 

こーれもさあ、

 

よっしゃーい!きたぜー!みたいに発動するわけですよ。

 

大量のもにょもにょ、フェイク、怒りがね。

それをぜーんぶ、とりあえず出してみた。

 

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これ、まずの前提としておもしろいのが、

その瞬間、

癒される人

ありがとう愛してるを言いたい人

 

なわけで

 

いろーんな、タイミングで

いろーんな、瞬間で、

それはきっと、変化するもので。

 

 

 

でもそこで、わたしが一番じゃなかったことが悲しすぎるから、カチッと決める。決めつける。そしてそれを、[ひねくれ]や[いじけ]、[相手への攻撃]の材料にする。しめしめと思いながら材料集めをするのが大の得意なわたしです。

 

 

しかも思い浮かんだ順番ってだけなのに、

 

 

 

自動的に

 

癒される存在ランキング

愛してる人ランキングみたいに

 

「順位」をすぐにつける。

 

 

      

 

 

人との関係性ってきっと、

順位も優劣もないはずなのにね。

 

 

 

 

その人とその人の間には

無限の可能性が広がってて

その色かたちは、唯一無二で。

 

 

 

 

 

それは立体的に、

さまざまな場所をとりながら、

なまもののように生きてる。

 

 

 

 

人と人の関係性って、「生きてる」。

 

 

 

 

人が生きてるのだもの。

心が生きてるのだもの。

 

 

 

 

 

なまものは、常に変化するよね。

 

 

 

 

 

 

でもね、

 

思っちゃうものは思っちゃうんよ

心配なもんは心配なんよ

怖いもんは怖いんよ

不安なもんは不安なんよ

 

 

 

 

 

だから、それに抗わないで。

 

 

 

 

 

 

「これを言ったらめんどくさがられる」

「またこうに考えちゃってるどうにかしなきゃ」

「またおんなじことぐちぐち言ったら本当に、相手に嫌われちゃうかも」

 

 

 

とかいろいろ理由をつくって、

 

 

 

 

 

思ってることをどうにかしようと

もがく。抵抗する。←それが苦しい。

 

 

 

 

だから、

ぜーーーんぶ、出すんだ。

ぜーーーんぶ、一度、『自分で』認める。

 

 

それは他人に投げつけるものじゃない。

他人に受け取ってもらおうとするものじゃないから。

 

 

そうやって、

【うんうん、そうだよね!その通りだよな!】

って、

 

 

生まれたもにょもにょに同意してあげるとね、自然と、

 

 

「やーーでもね、ほんとうはこう(真実)なこと、わたしわかってるんだ、、」

「それはだいぶ飛躍があると思うよ、、」

「だいぶあなた、歪んでモノ見とるよ、、」

「かなり決めつけてるね、、そしてそんな来てもいない未来のこと考える必要あるかい?」

 

 

ってなる。笑

 

 

ノートのメモの

あらゆるところに

赤字でツッコミが入れれるんだ〜笑

 

 

あーーこれは、

延々と続く、堂々巡りの

立派な終わらせ方だなあと感じた。

 

 

 

思ったことぜーんぶ肯定

それに対して

めっちゃ同意・共感してあげる。前のめりに。

「ほんとにそう?」

「本当にそう思ってる?」

「本当にそうなってる?」

ってひとりツッコミ

違うかもーフェイクなんよなあと気づく。

そしたらそこには何が残る?

真実に触れれる。すっきり☀︎

 

みたいなね。

 

 

 

 

 

そんなことを学んだ大阪・能勢での日々でしたとさ。

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おわり。

 

 

はじめての「2番目であること」が教えてくれた大切なこと。

『ありがとう。愛してる。それをいま1番伝えたい人に伝えましょう。』

 

この言葉を聞いた瞬間に思い浮かんだのは、

 

わたしじゃない女の子だった直。

 

 

でも、それを言わずに

まゆにありがとう愛してると言いたくなって

電話をしたんだと話す直。

 

 

まゆじゃないひとが1番に思い浮かんだことを、

必死にないことにして

「思考」だからと、ぼやかしていた直。

必死にオブラートに包むという名の、偽りの優しさという名の、【嘘】をついた直。

 

 

でもまゆじゃない人が最初に思い浮かんでしまった事実は、正直に伝えたかった直。

 

 

 

でもなかなか伝えられずに、

進んでいた会話。

 

 

とうとう最後の最後、

なんだか怒りながら、直は打ち明けだした。

 

 

その瞬間に

ぴっかーーーーーーーーーーん。

 

キレた。

 

嘘をつかれてたと感じ

不誠実さにわたしはキレた。

冒涜だと感じた。

 

 

そんなこんなで、ひとっ仕事、いい試合をした。笑

 

 

何かに蓋をしたまま

何かを言えずにいるまま

交わされる会話、伝えられる思い。

そんなんいらない。「ほんもの」じゃない。

偽りの優しさの元、

歪曲された表現なんて、ことばなんて、いらない。

 

真実を真実のままに

ぐさっと刺してくれた方がよっぽど愛されてる。

 

 

そんな濁った土台のうえにのってんじゃねーよ!

そんな土台にのりながら愛してるとかほざいてんじゃねーよ!

ぜんぶ嘘のようなもんだよ!

ふざけんじゃねー!

いい加減にしろやおまえ!

 

 

めーーっちゃキレて怒ってぶちまけて

暴言吐いて、悲しんで泣いた。

 

出るもん出した。

生まれるもん出した。

 

 

そんな自分が、かわいいなと、

愛おしいなと思える自分に最強だなと思った。

 

 

 

 

わたしが感じるすべて

わたしが思うすべて

わたしが言いたいことすべて

 

に、許可をだしてやる。

 

認めて、赦して、愛する。

 

 

 

 

茉優のせいで窮屈になってるとか思ってんじゃねーよ!

おまえがおまえを窮屈にしとるんじゃいぼけぇ!!!

窮屈さから、愛したいように愛せず、愛されたいように愛されず、おまえはまじでなにしとんねん!!!!

ちゃんと1番に思い浮かんだ人は茉優じゃないって認めろや!そう口にしてみやがれ!ほら、言いやがれ!誤魔化すんじゃねー!

いい人ぶるな!優しい人ぶるな!

どんなに茉優が傷つくとわかってたって、それがおまえなんだろーが!!

 

そんな自分をまずはおまえが赦しやがれ!!

その自分を責めるんじゃねー!!

 

 

 

パートナーがいたってなんだって、

その瞬間瞬間、

1番にありがとうって思う人

1番に愛してるって思う人が、

変化したっていーだろ!

同じ人じゃなくたっていーだろ!

流動的なものなんだよ!

変化するものなんだよ!

固定的じゃないんだよ!

 

 

それを認めろ!それを赦せ!

 

そうやって、自分で檻からでろ!

自由になれ!!自由を感じやがれ!!

 

関係性に、

パートナーの存在に、

縛られてんじゃねーよ!!!

 

 

檻は自分でつくって

自分で入ってんだよ!!!

 

 

誰もおまえを檻に入れることなんてできねーんだよ!!!!

 

 

今のその自由な感覚を覚えておけ!忘れるんじゃねーぞ!!

 

 

 

ってな感じにキレッキレなわたしで

直を誘導してた。

 

 

直へのことばでもあり、

わたしへの言葉でもあった。

 

 

 

思ってしまったもんは思ってしまったんよ

感じちゃったことは感じちゃったことなんよ

 

それに抗うな。抵抗するな。

 

認めて赦して愛せ。

 

 

 

それがわたしでしょ?

それがあなたでしょ?

 

 

どこまでも自分でいようぜ!!なぁ、同志よ!パートナーよ!

 

てな感じだ。

 

 

それがどんなに酷だろうと
相手を傷つけようと泣かせようと
非常識であろうと意味不明であろうと。

 

 

それがわたし。それがあなた。

 

 

どうしようもないくらいに、わたしはわたしでいたい。   

 

 

だから、

 

 

 

どうしようもないくらいに、あなたはあなたでいて。

 

 

 

すべてを、請け負う覚悟。
どんとこいや!なんだってこい!
その男気溢れる感覚は爽快だ。

わたしの魂ってこんなにも、ドーーーンっとしてるんだなあ。たのもしいぜっ。

 

 

 


そんなわたしでも
そんなあなたでも  

 

どんなわたしでも

どんなあなたでも

 

 

それでも、

離れない人がいる。
繋がり続ける人がいる。

 

そんな体験がしたいのだろうから。

 

 

 

ただただ、  

 

隠すな。誤魔化すな。濁すな。

 

 

偽りの優しさは捨てろ。

オブラートには包むな。

 

ほんとに愛してるなら

真実という何の刀でぐさっと刺しやがれ。

 

 

正直で在れ。まんまで在れ。

 

 

怖さを超えて。

 

 

カオスを抜けたらそこは笑顔。

 

 

 

ぜーーーんぶ、愛。

 

 

 

 

 

そんなやりとりになって、

わたし達はそれぞれに大切な気付きが得れた。

 

 

 

そんなめちゃくちゃ大事な時間になりましたとさ。

 

 

 

肚の声は、ひとを、わたしを、

自由にするものなんだね。

 

 

 

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どんなものを身につけたい?

 

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おうちでファッションショー☀︎笑

 

 

今日はいいお天気のなか

群馬の桐生市にあるrippleという服屋さんへ。

久々にたくさん歩いた!!

 

 

ひとつひとつ、

手作りで草木染めで、

ユニセックスの服も多く

カラフルでかわいい。

色が鮮やか。

 

おすすめ。

https://instagram.com/ripple_yohinten?utm_source=ig_profile_share&igshid=n2gldhlammx7

 



 


わたしは最近、

化繊の服を着ると肌がかゆくなってしまうようになった。前まではへっちゃらで全然使ってたんだけどね〜。普通のそこらへんにあるようなブラジャーつけてたしヒートテックも着てた。

 


でもだんだんと、

自然でありたいと

自然と溶けるようでありたいと

思うようになってから

身に付けるものもまた、

同じく石油からではなく

自然のものを見につけたいと思うようになった。

 


やっぱり、

着心地は全然違くて。

 


抵抗や締め付け、反発から

解放させてあげたら

らくーになるのは

 


こころ、だけでなく

からだ、も同じ。

 


そうしてやっと、

もともとみなに備わっている

本来の美しさが見えてくる。

 


わたしは、そんなふうにおもう。

 

 

 

身体のなかに

流れる、気、血、水。

 

 

ぎゅーって外から力が加わってるところから

なーんもなく、緩める、締め付けない。

 

すると、身体が変わったりする。

冷えがなくなったり

生理痛がなくなったり、

生理が順調になったり。

 

女性の下着とかが顕著で、

ブラジャーは締め付けがちになってしまうし、

パンツはリンパのある大事な鼠蹊部を

締め付けがちになってしまうね〜

 

わたしはひとつひとつ、

「美しさ」

「かわいい」

「女としての魅力」

 

いろーんなものの固定観念

揺らがし、剥いでいったんだな〜と

ふと今思った。

 

 

 

 

 

あとは、

大量生産で

多くの人が低賃金で雇われ

劣悪な労働環境で

人々が機械的につくる服よりも

 

1着、1着、

作り手が、思いを込めて、

その人の感性のままに

エネルギーをかけてつくるその1着。

 

 

そっちに、惹かれるなあ。

 

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↑すてきすぎる、、!!!✨✨✨✨

 


着心地がよくてかつ、

着てて、るんるんできる。

 

3着で5万5000円くらいのお値段だったんだけど

いいお買い物できたなあ〜って思えた。

気持ちよくお金を、出すことができた。

 

 

そんな服をつくれるって、すてきだなあ。

いい作り手のひとと出会えてよかった◎

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「嫌」のたいせつさ

 

 

昨日はとっても素敵な時間があった。

 

 

最近わたしは

人生史上初、

 

付き合ってるひとに対して

触れられたくない

キスしたくない

キスされたくない

好きじゃなくなるかも

 

 

っていう感覚が生まれてる。

 

 

 

そうに思うことなんて

人間付き合ってれば

一度や二度ありそうだけど、

 

わたしは、

固く固く封じ込んできた。

 

「嫌」を押し込めてきた。

 

 

付き合ったらわたしは「一途だ」と

思い込んできた。

 

 

 

 

 

でもそれはちょっと違くて。

怖すぎて怯えすぎて

言えたことがないってだけ。

 

 

 

認識できるレベルでは、

「キスしたくない」

「触れられたくない」って感じて

それをそのまま表現したり

言葉にしたりってのは、まじで1回もない。

 

 

 

それくらい、

わたしにとって

【付き合ってるひととの関係】ってのは、

何が何でも失いたくないものだった。

 

 

そこに明け渡しているものが

多すぎて。

 

 

親とのうんぬんかんぬんで、

欲しかった愛情を

されたかったことを

【そこの関係】で埋めようとしてきてたわたし。

 

 

ある意味では、

そのときの私にとって、

なによりも必要なもので、

なによりも大切なもので、

なによりも失いたくないもので、

『命そのもの』のようだった。

 

 

だから。

 

別れを告げられたりしたら、

【そこの関係】がなくなっちゃったら

呆然と絶望して、

死にたくなっちゃってたんだなあ〜って。

 

 

 

 

 

でももう、いまのわたしは、

 

たくさんいろんなものを脱いできて

 

 

もう。気づいちゃう。

もう。ないことにできない。

 

何かを我慢して

本当じゃないわたしで

直と接することは、限界だった。

 

 

 

わたしの中に生まれるもの、

コントロールはできない。

 

 

 

その時そうに思ったのなら、

それがなんであっても、

それがその時のわたしにとっての「自然」。

 

 

 

 

だから、

人生で初めて、

 

キスを断った。

触れられたくないと、意思表示した。

キスやまぐあいからは、

遠いところに心があると、伝えた。

 

 

 

ものすんごい勇気いることだった。

わたしにとって。

 

 

 

そこで、

悲しいなら悲しいままに

泣きたいなら泣きたいままに

在れたらいいのに、

あまりにも、胸が押しつぶされそうで

気丈に振る舞ってみたり、

明るいトーンでしゃべってみたり、

沈黙にならないよう何か会話を始めたり。

 

そうやって、ごまかしてる自分がいるんだなあって、気がついた。

 

 

 

「キスしたくないなんて、

思わなきゃいいのに

でも思っちゃう。

どうしてそんなことおもっちゃうのわたし。

直はこんなに、悲しそう。」

 

 

その時の胸の痛みを、

『ただ、痛いままに』させてあげよう。

 

 

 

 

 

昨日の夜、直と話す中で

直にとっても壮大なテーマと今

向き合っていて、

 

 

わたしが、

本当の意味で、

そのままで在る、ことで、初めて

直は、

直にとって、

そのテーマにとって

欠かせない

想いや感情や怖さや記憶が揺さぶられるのだとわかった。

 

 

 

それを知ったとき、初めて感じる

《安心感》があった。

 

 

 

安心して、

キスしたくない時はキスしなくていいんだ。

 

安心して、

触れたくないときは触れなくていい。

 

安心して、

触れられたくない時はnoと言っていい。

 

 

 

 

 

1番近い、【付き合ってる人との関係】において、怯えや緊張しかなかったわたしが、

 

初めて感じる

 

《安心》

 

 

 

 

 

 

本来はそうなんだよねって

誰との関係でも

そのまんまの自分でいたい。

そのまんまの自分が、

相手にとっては都合が悪くても

相手にとっては悲しいことだとしても

相手にとっては傷つくことだとしても

 

それでも、

わたしは、わたしの「まんま」でいたい。

 

 

そうだよー!そうなんだよー!って、

胸があっつくなって、

涙が流れる。

 

あー、わたしの魂、喜んでるなあ。

 

 

 

 

 

 

人は、何にも囚われずに

誰にも囚われずに、

 

ただ、自分でいること、

その瞬間の自分を表現できること、

 

 

それが本当に、

生きてるってことの《喜び》なんだと、

わたしは思う。

 

 

 

 

 

でもフェイクの概念に囚われて

それゆえに怖くて怯えて、

安心して、ただ自分らしくそのままでいる

ってことできてこなかったよね。

 

 

 

 

 

「そんなわたしも愛おしいよ。」

「よく頑張ってきたよ。」

「今まで本当にありがとう」

 

 

今この場所にわたしが立つことで

初めて過去のわたしにそう思えた。

過去のわたしとの統合。

 

 

 

 

 

 

 

直も直なりのテーマで

この関係を失いたくないと思い

[茉優から、返ってくるもの]が欲しくて

それを感じたくて

リアクションが見たくて

触ったりキスしたりするところがあるから、

 

 

純粋に湧き出たものじゃない

 

ってわかって。

 

あーそれも、

わたしが受け取れない

わたしが受け取りたいと思えない

要因なんだなあって。

 

 

 

だから

茉優は嫌だと意思表示する、

直はそれに、関係性への不安を感じ始める

だからキスしたり触ってみる。

でもそれは純粋なものじゃないから茉優は受け取れない。断る。

余計に不安になる

 

 

みたいな状況があるとわかった。

 

 

 

そして、直の中のソレと、

わたしの中のコレは、

 

タマゴが先かニワトリが先か

で言ったら、

どっちも先。

 

 

どちらが先ということはなくて、

【同時に】作用しあっている。

 

 

 

本当に

 

わたしがわたしの中に生まれる

自然をそのままにさせることで、

 

しぜーんと、必要な学びが得られるんだ。

 

両者ともがね。

 

 

 

 

きっと、ここで使ってる「自然」という言葉は

 

【防衛反応のないところ】を意味してる。

つまりは、

【自我・エゴを抜けたところ】

 

 

 

 

そこにいれるとき、

ふーーーーーーっと、静かな沈黙のなか

わたしを置ける。

 

 

わたしの内側には静けさがある。

 

 

 

「ここ」なんだなあ。

 

 

 

 

 

 

 

 

昨日はそんな学びと気づき溢れる

対話の時間を直と過ごした。

 

直はいっぱいいっぱい泣いていた。

たくさんの過去が昇華されてるようだった。

 

 

そして最後には

わたしたちは

何度も強く抱きしめ合い

直は泣き

キスをして

直への愛が溢れてるわたしがいた。

 

 

「触れたい」と

「キスをしたい」と

「包みこみたい」と

「抱きしめたい」と

「愛を伝えたい」と

 

心からそう思えるわたしが、そこにはいた。

 

 

「いやだ」という私のなかの自然を

ないことにしなかったからこそ、

 

味わえる、この今

溢れ出る、この今

 

 

 

 

「死」があるからこそ「生」が輝くように

「嫌」の分だけ「好き」が輝く。

 

 

 

この地球ならではの、二元性。

 

 

 

味わいきりたい。

 

 

 

なるほど〜。

人間を生きるって、ほんと、おもしろい!

 

 

 

そうしたら、

「あなた違いますよ〜」ってサインの

口唇ヘルペスが治ってた〜〜✨

過去最短の日数!

 

 

こんなにも、

内側と身体がリンクしてるのだと感動な朝でした。

 

 

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あ、ちなみに、

この同じタイミングでの

直のブログがこちら↓

http://anzuruyori-umugayasushi421.hatenablog.com/entry/2019/03/28/022048

わたしたちのまぐあいのまんま。

 

 

わたしの壮絶に超絶苦しい闇期を経て

直のどつぼに動画漬けの引きこもり期を経て

 

私たちの間に新しい流れが生まれ出した頃

わたしたちのまぐあいにも、

新しい変化があった。

 

そうしたらちょーどよく、

あるお友だちからせっくすの相談がきて

わたしにとっては

初めて言語化する感覚ばかりで、

それがとってもいいタイミング&機会だったから、

やりとりをそのままブログにのっけちゃう☀︎

 

 

 

🙋‍♂️相談者のおとこのこ

🙋🏻‍♀️わたし

 

 

 

🙋‍♂️彼女とせっくすしてて、くりでオーガズムに達することはよくあるんだけど、どうやって膣を可愛がればオーガズムに達するのかわからない〜〜。まゆは膣を可愛がられてオーガズムに達したことある?

(無論、オーガズムに達することが目標じゃないんだけどね。でも、より2人のせっくすが深まるんじゃないかな〜って思うの)

 

 

🙋🏻‍♀️もはや既存のオーガズムという概念に、これを当てはめていいのか分からないけど、
高まりに高まると、もう触れられるところすべてが性感帯みたいになる。どうなっちゃうかわかんなくて怖いけど同時にどっか別次元に連れてってもらえちゃうような感覚。笑
そのまま別次元いっちゃった!みたいになるときもある。
それらが、そのときの[状態]が、オーガズムのようなものだとおもってる。わたしの場合はね!
指やらちんこを早く動かして、浅く強い「感じる」じゃなくて、スローセックスみたいな力の抜けた緊張や強張りのないおだやかなせっくす。
そうすると深くてあつくてゆっくりでそれでいて確かなつよい核のある「感じる」になる。それがなんともさいこうにしあわせ!

しかもさ!
膣の中でね、ただ指を入れて、そのままじーーっとしてるの。子宮瞑想って名前があるんだけど、それは味わってみるとおもしろいかも。
最初はなんでもないのに、だんだんと変化が生まれてくる。いろんな変化が。そのままいっちゃうくらいに高まるときもある。2人の間で流れてるもの、交わし合ってるもの、それにわたしはからだとこころが高まっていく。
たぶん入れてる側も、膣の変化に気づくとおもう。直はそういうまゆの状態のときの膣は底なし沼みたいでやわらかくてピンクのブラックホールみたいだって言ってた。でもただの表面的な従来の感じとかAVみたいな感じでの快楽のときは底のあるコンクリートのプールみたいだって言ってた笑

 

 

🙋‍♂️うおぉ。なるほど。スローセックスといえど、どれくらい時間かけてるの?

 

 

🙋🏻‍♀️え!わかんな!笑
そんな長いことはかけてないと思うよ!わかんないけど。全然時間の感覚はわかんないや。。
でもなんていうかな、
時間がびよーーーんってのびてる感覚。ゆっくり流れてる。時間が。ときが。そんな感覚だなあ。

だから実際の規則正しく流れるちっくたっくの時間ってものを長くかけることがスローセックスの本意ではないんだとおもう。

このびっみょーーーなニュアンス伝わるかわかんないけど笑

 

 

🙋‍♂️時間だけがスローなんじゃなくて空間とか気持ちがゆっくり穏やかみたいな?最近その感覚忘れがちだったかも!目先の「いく、気持ちいい」に、縛られてたような気がする。

 

🙋🏻‍♀️そうそう、そんなかんじ。
あとは動き自体もゆっくり。
からだをさわるのも、
くりとかちつを愛でるのも。

 

あとはさ、
おんなのこ側も
まっったく「感じる」の種類が違くて、真逆っていうか別物ってレベルだから、(従来のAVみたいな世界の快楽と、ゆっくーりと目に見えないけど確かにあるものをふたり味わいながらのせっくすは)

 

本当に深く感じてるときわたしの場合はそんな声とかは出なかったりするんだよね。
でもなおはやっぱりわたしの声の反応でどうしたらいいかなとか伺いがちで。
でも

声の反応がすごくある=わたしの望んでるもの
ではなくって

 

たしかに激しく刺激されたら気持ちいいとおもうことは確かで、そう体は反応しちゃうし声も出ちゃうけど、それはなんていうかなー、浅瀬のものなんだよね。それはもう、いまのわたしは欲してないというか。過去に散々やってきたし。

 

ふかーーくかんじてる、気持ちいい
けど、声に出すような感じじゃないときには
なおのおでこに触れることにしようって決めてみて、それを合図にしようってやってみて、そうしたらなおはびっくり仰天の連続で。笑

 

え、これでいいの!?
全然動かしてないけど!
全然まゆあえいでないけど!?
みたいになった笑


その、目先の「いく、気持ちいい」とはね、めーーっちゃ真逆の世界なんだよね、

その縛りからふたりともが解放されたら、びっくり仰天な世界があるよ!

 

【どうやったら】いくか、
【どうやったら】オーガズムに達するか

みたいな、思考の中から、
その枠組みから、
まず抜けることが

いちばん大事なんだとおもう

 

 

🙋‍♂️なるほど!ふかい!せっくす!相談してよかった。

 

 

 

てなやりとりをしました!

 

 

 

最近こうやって、ブログとかで

性のことも

恥ずかしがらずに

(一応少しは恥ずかしいけどね!)

文字で表現するようになってから

晒すようになってから、

 

性関連の相談や

せっくすの相談は多くなったと思うし、

そもそも、

人と、性の話がしやすくなった。

わたし自身が。

初対面でもしゃべるしゃべる。笑

 

 

 

性を語るは、生きるを語る

 

だから、わたしはそのことが、

とてもうれしい。

 

いまの時代、

物もありふれてて

お金あればなんでも買えて

なんでもサービス化してて、

でも人は孤立感や分離感を感じ

自殺者もたくさんいて。

 

そんな世の中で、ひとが最も

欲してるものって

 

「人との繋がり」だとわたしは思ってて、

 

せっくすは、まぐあいは、

 

その『繋がり』の最たるものというか。

 

『至上の繋がり』そのものであり、

純粋で神聖なものだとおもってる。

 

 

 

 

 

同じ日の直の投稿↓

なおです。

【昨夜、そして今朝、
まぐあいを重ねました】

 

なおの何度目かの深めの引きこもり期、
茉優の初めての闇期、
2人の目の奥が中々繋がらない枯葉期、

を経て、

鈍感な私でも春の暖かさを感じ始めたのと
同じようなタイミングで、

ようやく緩み始めてきたもろもろ。

 

ようやく触れ合えるようになってきた今日この頃。

 

茉優を愛おしく思えたことが嬉しくて、

茉優の体が愛おしくて、

同じ布団の中で裸で後ろから抱きしめくっついた時の“ふぃっと”のし具合が絶妙に柔らかくて、

茉優の肌の感触が気持ちも心地もよくて、

その延長に、

茉優の体の反応を感じて。

微かに漏れる声に私の中の何かが喜んで。

 

そうして、

こまゆ や ちつちゃん にも

触れていった。

昨日?だっけな?

茉優と作った合図。

 

大きく反応していなくても

声が出ていなくても

 

「深く満たされてるよ 幸せだよ」

 

という時は直のおでこを触る。

 

相手の反応が薄いとすぐ不安になってしまう直に、

茉優が本当はどう感じているのか

そっと教えてくれる合図。

 

私自身も心地いいように

頑張りすぎないように

ゆっくりゆっくりこまゆとちつちゃんを行ったり来たり。

 

AVや官能小説のような
反応はないのに、

茉優はおでこに触れる。

 

膣の中に指を入れ、

そのままジッと動かないでいてみる。

 

それなのに茉優はおでこに触れる。

 

何度も何度も確認してしまう。

 

もっと動かして欲しくないの?

 

物足りないとかないの?

 

コレで満たされてるの?

 

茉優の膣に指を入れたまま、

その中で微かに動きをみせる内側に、

注意深く意識を向けないと見逃してしまうような細やかな茉優の体の声に、

じっと意識を向ける。

 

すぐに押し寄せる不安や焦り、

「それ、見当違いだよ」って教えてくれる、おでこに当てられる手。

 

そんな時間の中で、

私は徐々に泣き出した。

 

??? 

 

泣き方がだんだん激しくなる。

 

頑張ってちんこがない穴を埋めようとしなくていいんだよ

 

必死に気持ちよくさせようとなんてする必要ないんだよ

 

あなたは

あなたの持つその指で

膣の中に

ただ在ることで

愛する人を満たせるんだよ、

 

 

あなたの知ってるセックスやまぐあいのイメージは

誰かのものであって

あなたやあなたたちのものじゃないんだよ

 

そんな風に諭されているようだった。

 

 

人生で

 

私が私で在ろうととするのと同なんだな、

 

まぐあいも。

 

 

当たり前のことで

頭では分かった気になっていたけど

体感で少し分かった気がした。

 

 

激しく強く反応している時の膣の中は
濡れるけど、すぐに乾く。

例えるなら、コンクリートでできたプールかな。

アボカドなら、熟れてなくて硬くて青臭いやつ。

 

茉優が言うには、それは表面的な気持ち良さ。

 

それはそれでいい。 

 

 

おでこに触る時の膣の中は後から後から溢れてくる。柔らかくてピンク色のブラックホール?底なし沼?

 

 

宇宙 って感じる。

 

 

茉優が言うには、

それが最ふか(深)のやつ。

 

気持ちいいという言葉では表しきらないやつ。

 

だって。

 

 

 

 

わたしたちのいまのまぐあいの『まんま』。

 

 

わたしたちは

どの概念にもはまらない

唯一無二の

オリジナルの道を

歩むのだとおもう。

 

 

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この写真、なおの指がわたしの膣に入ってるときに、「届いてるよ」ってなおのおでこを触ってるとき。ふと、なおが撮った。

 

 

これってさ、世の中的にはハメ撮り?てきなやつみたいなもんになるよね?きっと。

 

 

でもこのおだやかさ!

のほほーんとしたかんじ。

 

これくらいに、リラックスしたもの。

 

 

 

 

承認欲求を満たしたくて

必要とされてるって感じたくて

女として価値があるって感じたくて

求められたくて

刺激を求めて

せっくすしてたようなわたしが

 

まさか、

その土台から降りることができて

その土台に乗らないせっくすを知れて

性別を超えた、

ほんとうの「愛される」を知って

刺激を求めなくなって

こころのせっくす、まぐあい、を

こんなにも、身体で体感できるようになったこと

 

本人がびっくり。直のおかげ。しあわせなことだ。

 

 

ちゃーんと届いてくるんだ。

なおの手から。

なおの指から。

 

わたしの子宮に届く。

 

わたしの膣はなおの指を包み込む。

 

 

 

 

 

わたしたちのまぐあいにちんこはないし、

なおは男でも女でもあって

男でも女でもない中間性てきな感じだから

 

よくあるセックス観とか(どんなだ?笑)

子宮とちんこで陰陽統合てきな

おとこの男性性と

おんなの女性性が〜とか

 

そういうの、

なんていうか、

事実でもあるし、

真実でもあるんだろうけど、

 

わたしたちの教科書ではない】んだよね。

 

 

わたしたちには

わたしたちだけの

道があって、教科書が存在する。

 

 

そんなふうに思うんだ〜。

 

 

男性器と女性器の男女も

同じ性器同士のゲイもレズビアン

Xジェンダーインターセックスのひとも

 

みーんなみんな、

 

なにを持っていようと

なにを持っていなかろうと

 

 

1番大事なものは『こころの交わし合い』で。

だから、

『こころ』って目に見えないものでよかったなあって思うんだ。

 

 

目に見えないものだからこそ、

みんなにあるから。

みんなの中にあるものだから。

 

 

 

目に見えないもので、

目に見えないところで、

どんな人も、

愛する人と繋がれたらなあ。

 

 

そんな人たちで世界が溢れたら

それはもう楽園だね。

そんなふうに思う。

 

 

 

 

手って不思議で。

生命エネルギーは手から出ていると

言っているひともいた。

 

 

 

自分の気持ち良さのために

握手するひとはいない。

 

自分の気持ち良さのために

手を回して抱きしめるひとはいない。

 

自分の気持ち良さのために

ひとの背中をさするひとはいない。

 

 

そんな「手」。「てのひら」。

 

 

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